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5、里数問題の鍵は船上にあり

❍陸上での距離計測は標準里を用いて正確だった

前回までで、仮に今回の考え方を採用すると、陸行で辿りつく3ヵ国については、標準里で考えても魏志倭人伝の記述通りに、配置できる事がわかってきました。

その他に里数と方位が書かれている国々があります。それらの国々を見ていきましょう。

❍一海を越える国々

狗邪韓国から松盧国までは船による移動になります。これらの国々にはそれぞれ方位と距離が記載されています。

狗邪韓国から対海国   一海を渡り、千余里
対海国から一大国    南に一海を渡る。千余里。
一大国から松盧国    又、一海を渡る。千余里。

つまり、3区間とも千余里となっています。この区間は、現在の地理と整合性がとれており、国名も現在の地名と非常に似かよっています。そのため、場所が確定できています。よって、現代の技術で測られた正確な距離と比較する事が出来ます。それぞれの区間の正確な距離をみてみましょう。

狗邪韓国から対海国   およそ84km
対海国から一大国    およそ60km
一大国から松盧国    およそ30km

標準里を使用して、千余里をキロメートルに変換します。

狗邪韓国から対海国   およそ435km
対海国から一大国    およそ435km
一大国から松盧国    およそ435km

大幅な違いとなってしまいます。3区間とも千余里とされている時点でかなりの間違いです。そこで「短里説」という考え方が発案されました。

❍短里説とは

魏の時代、正式な一里の長さは標準里(1里=およそ435m)とされています。しかし、狗邪韓国から松盧国間を標準里で考えると、大幅な間違いが出てしまいます。そこで、標準里の他に、それより短い「短里」も存在していたのではないかと考えます。

歴史学の分野ではどうなのか、中国研究者等、考古学以外の学者の間でも、そのように考えられているのか。素人の私には調べる術もありません。しかし、魏書の中の倭人伝以外では、ちゃんと、標準里が使われているとする研究もある様です。

いずれにせよ、今回の考え方では、陸上での距離計測は標準里を用いて、正確だったと考えています。まさか、陸上では標準里で、海上では短里を用いたというわけはないので、今回の考え方では、海上でも標準里が使用されていると考えます。

❍標準里で考えるとどうなるか

当然、測り間違いです。そもそも、実際では3区間の距離は明らかに異っているのに、全て千余里とされているのはおかしいと思います。

❍陸上での距離計測と船の移動距離を測るのはどっちが難しいか

今回の考え方では、経験豊富な調査官が倭国をきちんと調査したと考えています。その様な調査官であれば正確性を求めます。

陸上で最も正確な計測をするには「歩測」を使うことだと思います。時間はかかります、しかし当時は陸上では歩くか走るかしか移動手段はありません。気長にいきましょう。

船の移動距離を測るにはどうしたでしょうか。当時はメーターの類はありません。非常に難しいのではないでしょうか。海であれば、海流、風力、船の性能等さまざまな要素が関わってきます。

いくら経験豊富な調査官であっても、初めて越える海で正確な距離を計るのは難しいのではないでしょうか。中国大陸の中の河川であるならば、何度も計測しているとも考えられますので可能かもしれません。

その様な国内での経験を、狗邪韓国から松盧国の間にも適用したため大幅に間違えたとも考えられます。

❍可能性として考えると

中国での距離計測の経験は、ほとんどが陸上での計測と考えられます。つまり、歩測できちんと調査したのであれば、大幅に間違える可能性は低くなると考えられます。

魏志倭人伝での里数の間違いは、「邪馬台国は九州のはるか南の海上に存在した」と思われるほどの大きな間違いです。その様な大きな間違いは、船上で起きたと考える方が可能性として高いと思われます。

❍最後までお読みいただいてありがとうございます

今回は、魏志倭人伝において、どこの里数が間違いだったかを考えてみました。

素人らしく単純に、「陸上では歩測なので正確、古代にはメーターがなかったので、船の移動距離は正確に測れなかった」という非常にわかりやすい結論となりました。

次回からは、いよいよ、これまでに上げた今回の考え方の基本をもとにして、さらに細かく倭国内の各国の場所を考えていきたいと思います。ご興味をお持ちになりましたら、ぜひ読んでいって下さい。

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