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超単純理論で読み解く「日本神話」

私が書いたnote版Webマガジン 「大担推理 邪馬台国」 で用いた手法と論理を用いて、「古事記」、「日本書紀」に記述されている 日本神話 を考察してみました。

その4、天孫降臨とは何だったのか

❍天孫降臨とは 天孫降臨は記紀神話のクライマックスのひとつです。 wikipediaによりますと とありますここで、出発地点である高天原がどこなのか、目的地となる筑紫の日向の襲の高千穂峰とはどこなのかが問題となります。 まず、筑紫の日向の襲の高千穂峰は現代の地名に近い事もあり、地上である九州の中の地名であると考えられます。 しかし、高天原という名は現代の地名からは特定する事が難しく、筑紫の日向の襲の高千穂峰のように、どこのどこの高天原という記述ではなく、とうとつにた

その3、アマテラスの空想物語

❍はぁー私(の妄想)が止まらん魏志倭人伝では 狗奴国王は素より女王と和せずとあります。 そして 記紀神話では アマテラスは乱暴なスサノオに手を焼き、天の岩戸に籠もります。 このちょっと似ている一事だけでも、さまざまなストーリー(妄想)が浮かんできます。 今回も頭に思い浮かんだストーリー(空想物語)です。 ❍なぜ天皇家に関する場所は宮崎県が多いのか私の超単純理論で考えますと、天皇家が天皇家になる前は 宮崎付近を支配していた一族だった のではないでしょうか。単純

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超単純理論で読み解く「日本神話」

❍みなさまこんにちはのりくろーでございます大担推理「邪馬台国」において、卑弥呼時代の日本の情勢を推理してみました。これまでの定説とは大きく異なってしまいました。いわゆる「トンデモ説」です。しかし当然、自分では結構信じています。 この「トンデモ説」を基にして、「日本書紀」や「古事記」の神話部分を読むとどのようになるか、無謀にもチャレンジしてみました。つまり、ほとんど妄想かもしれません。(笑) 今回も、「大担推理「邪馬台国」」の時と同様多くの資料を調べる等行ったわけではありま

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その1、イザナギ、イザナミ?

❍イザナギ・イザナミイザナギ・イザナミとは天照大神、スサノオ、月読を生みだした。日本神話における中心的なニ柱の神様です。 漢字で書くと私も詳しくはわからないのですが イザナギ伊弉諾 伊邪那岐 イザナミ伊奘冉 伊邪那美 などが変換候補として出てきます。適当ですみません。 この中で注目したいのが、伊邪那という三つの文字です。 ❍記紀神話の執筆者は魏志倭人伝も参考にした魏志倭人伝に出てくる、中心となる国々に次の三ヵ国があります。 伊都国 邪馬台国 奴国 です。 す

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大担推理「邪馬台国」

魏志倭人伝を単純比較思考で読み説いていきます。忘れられがちな、学術的根拠の薄い単純な発想を比較、検討する事で邪馬台国時代の謎を解き明かしていきたいと思います。

大胆推理「邪馬台国」

❍みなさま、初めましてのりくろーと申します。今回、私は素人でありながら、魏志倭人伝に興味を持ってしまいました。 そして、いろいろと自分なりに考えた結果、学者の方々では思いもつかないであろう発想が、どんどん浮かんできました。 もちろん、学者の方々の様に、さまざまな書物にあたって研究したわけではありません。ごくわずかな本を読んだにすぎません。ほとんどフィクションに近いとも思われます。 素人としての自負を持って、単純さと、簡潔さと、学術的な非常識を追求していきたいと思います。

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1、基本的前提

❍学術的思考を廃除した超単純理論単純比較思考で読み説く魏志倭人伝。もうすでに何百年も議論されている問題です。あらゆる学術的思考は試されているはずです。逆に、単純に考えてみました。 私の中途半端な知識は廃除して、なるべく単純にどちらの可能性が高いのかを比較して、消極的選択を求めています。その中でも基礎となるものを選んで紹介したいと思います。 ❍標準里を使う多くの方が短里を用いて考えますが、当時、標準里が用いられていたのであれば、そちらが用いられた可能性が高いと考えます。

2、魏志倭人伝の記述は「魏の使節団がとった進路」とは関係がなかった

❍魏志倭人伝を素直に読むと邪馬台国は九州のはるか南の海上に存在したことになってしまう 邪馬台国の話題になると、一番最初に、必ず言われる事です。つまり、当時、実際に使われていた里数を使って方位と距離を、記述通りの順番に辿っていくと明らかに現代の地理とは合わないのです。 ❍なぜ、記述を順番通りに辿るのかこの様な疑問を持つ人は非常に少ないです。誰も彼もが必ず順番通りに辿っていき、結局、同じ様な問題にぶつかります。一番の理由は 「魏志倭人伝の記述が、魏の使節団が実際に邪馬台国に

3、魏志倭人伝の記述は「魏の使節団の中にいた官僚による証言や記録」をまとめたものではなかった

❍今回の考え方では今回の考え方では 魏志倭人伝に記載されている方位や距離に関して、魏の使節団の進路とは関係がないと考えています。 なぜならば 魏志倭人伝に記載されている方位や距離は、魏の使節団の官僚による証言、または記録を参考としたものではないと考えているからです。 ひとつの試しとして、この様に考えています。 当然、それでは陳寿は何を参考にしたのかとなります。 ❍張政を中心とした魏の使節団が派遣される前に魏から女王国(邪馬台国)へ、使節団が派遣される。これは、魏と

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