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昨日のnoteで「大学教員がしていること」というタイトルの小文を書きました。
その続きを少し書いてみます。
またもやおこがましい言い方ですが、大学教員はnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)を負う職業のひとつでは、と思うんですね。
大学教員は誰もがなれる職業ではありません。ポジションを得るまでに多くの場合、長い時間とお金がかかります。
本人の資質とは別に、ある種の環境に恵まれた者だけがその道を選ぶことができるのでは、と思うのです。
もちろん苦学して大学教員になる人はたくさんいます。それでも学問を志そうと思える環境に育ったことそのものが、ある種の環境に恵まれていたともいえるのです。
様々な理由から、この道を選ぶ人がいるのですが、わたしの場合は①ちょっと不純な、でも強い動機(とにかく英国に残りたい)と ②まともで、でも中程度の動機(研究を続けたい)が、いくつかの偶然(たまたまビザ切れ直前に募集があって自分のスペックと合致)と重なって、1997年に英国で大学教員の仕事を始めました。
だから、「そこに山があるから登る」というシンプルで力強い言葉がわたしの口から出ることはありません。
どこかにちょっとした「やましさ」が常につきまとっているのです。
それは世の中から何かを借りたままである、という感覚です。まったくもって自分の力だけでこの場所にいるのではない、という思いです。
大学教員になる・である、ということは、この世に返すべき何かを予め抱え込むことなのです(こうした職業や立場は他にもいろいろありますが)。
これが noblesse oblige を負う者としての大学教員ではないか、ということです。
私は何を借りているのか、何をどのように返していけばいいのか、ずっとずっと考え続けてここまで来てしまいました。
「返すべきものを返すべき相手に届けられているのか」「そんな力が自分にはあるのか」「自分はやりがいを感じているのか」「この職業を続けていて本当にいいのか」という自問自答を定期的に繰り返してきました。
あと2年で還暦という、こんなところまで引きずってきた、私の薄闇です。
しかし、もうここまで来てしまったら、借りを返せるかどうかはわからない、届くかどうかわからない、しかしもう四の五の言わずに最後までこの職業に真摯に取り組もう、そう思うようになりました。こんなことを書くのはかなり恥ずかしいのですが、今日の小文のタイトルはなんといっても薄闇なのです。
この職業に真摯に取り組むとは、とりもなおさず、目の前にいる学生に向けて伝えるべきことを伝える、語るべきことを語る、聞くべき言葉を聞く、そういうことです。
実は、コロナ禍がそんな覚悟を促しました。
私がかかわっている観光の世界では、コロナ禍で事業をたたんだ人、仕事を失った人、本業が開店休業状態でアルバイトで生計を立てている人がたくさんいます。
コロナ禍で大学教員もいろいろと大変な経験を潜り抜けてきていますが、仕事を失ったわけでも、収入が減ったわけでもありません。
借りたままのものを返せる場所にいるのだから、今後も体力と雇主が許す限り、役目を果たしていきます。
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