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LGBTQを通して見えた、世の中の差別の根源

Ekolokalを通して、実にさまざまな出会いがある。従業員の方でLGBTQの「Q」にあたる「Queer」と自負する方がいる(語彙の説明はこちらで)。その人との会話が実に面白かったので、振り返って記録する。

英語で3人称の種類

Ekolokalは東京大塚駅から徒歩6分ほどの場所でカフェを運営している。ある日、カフェで働くスタッフが「友人も採用面接を受けたい」と人を紹介してくれた。その際、彼女は一言(会話は英語):

My friend identifies as a "they"

日本語に訳すと「私の友人は『彼ら』というアイデンティティなので(よろしくね)」だろうか。その方の話をする際は「『彼ら』が面接にくる」のような言い回しになる。(日本語だと相当不自然に感じるが)。

日本語では3人称よりも名前で誰かの話をすることのほうが多い印象だが、英語では3人称をよく使う。一般的には、女性のことを話すなら「she / her」を使い、男性のことを話しているなら「he / him」を使う。

ただ、中ではLGTBQの方や、non-binary(どちらの性ともアイデンティティが結びつかない)の方は自身の3人称を「they / them」と使用してもらいたがる方もいる。

今回、面接に来ることになった弊社のスタッフの友人は「they / them」の使用を望む一人だった。

先入観を持てないという状況

スタッフの方から上記の情報をもらった時、「ん?見た目は『どっちの』性なんだ?」と私の頭には疑問が浮かんだ。次の瞬間、自分で自分の疑問にツッコミを入れた:

カフェで働きたい人の見た目の性別は関係ないじゃん

と。それでも、どこか、その方の見た目が気になっている自分がいた。わからないことはすぐに質問する性格の私は、次の瞬間、スタッフに聞いた

その方の見た目はどんな人?

スタッフはこの類の質問に慣れているようだった。「性別でいうと男性かな」と答えてくれた。(私が見た目の性別を本当は気にしているのがわかったようだ)。

その後、スタッフと私は、その方のことを少しだけ話していた。どこで知り合ったのか、どのような仕事をしてきたのか、など。その中でスタッフが「彼らのパートナーは日本人でね」と言った瞬間、また私の脳裏に疑問が走った:

『彼ら』のパートナーの見た目は女性?男性?

考える暇もなく浮かんでくる疑問たち。これにも次の瞬間、自分で突っ込んでいた:

カフェで働きたい人の好みも、その方のパートナーの性別や見た目も、カフェで働く上で関係ないじゃん

と。自分の脳が持ち合わせている「先入観を持ちたがる」「知っているカテゴリーに分類したがる」性に驚いた自分がいた。
その時気付いたのだ。脳はどうしても反応する。
そしてその脳の反応はバイヤスだらけである。

バイヤスで生き延びた先祖

私の好きな本のいくつかにも書いてあったが、人間はバイヤスだらけである。これらを持っていたから、身体的に強い「武器」を持っていなくても自然界で絶滅することなく生きながらえたのである。

  • 動くシマシマの動物の尻尾を見て「あ、虎かも!」と言って早めに逃げたり隠れたり、

  • ◯◯の特徴を持った植物は毒性が強い、という教えがあれば、その特徴を持った植物を触るときは警戒する、

など。シマシマ動物が「シマウマかな?」と思って様子見で待っていては、虎だった場合に逃げ損じるし、「今回は別の植物かも!」と気持ち新たに思うだけで植物の毒にやられてしまう可能性が上がる。

人間の脳には、瞬時に「安全か危険か」と「これは自分の知っている何に似ているだろう」を判断しようとする機能が備わっている

現代社会では役に立たない

自然界での危機に対してはバイアスは役に立ってきたかもしれないが、現代社会の対人関係では役に立たないと私は考えている。

  • 結婚したばかりの女性はいずれ産休に入る

  • 男性は長時間労働ができるが、女性には難しい

  • 子育て中の女性は昇進したがらない

  • シングルマザーは◯◯

  • 独身男性は◯◯

  • 女性はいずれ産休を取る

上記はいずれも私が個人的に耳にした誰かの(悲しい)発言であり、バイアスによって出来上がった固定観念だと思うが、どれ一つとっても「生き延びる」ことや「よく生きる」ことと無関係である。
全てがケースバイケース。

もはや「LGBTQ」は関係無い

一連のことに気付いてから、さらに思った:
世の中の差別は男女差別だろうが、人種差別だろうが、LGBTQなどのマイノリティに対する差別だろうが、全てが「差別」であり、一部の陰湿なケース(わざと意地悪をしている、など)を除き、全ての差別は人間が生まれ持ったバイアスに起因するのでは無いかと。

仮にカフェの面接に来る人が、男性だったとしても、女性だったとしても、その他であったとしても「カフェでバリスタ業を全うしたい」という思いとスキルがこちらの探しているものと合致すれば、それでいい。

カフェの面接を受ける人が日本人であっても日本人でなくても同じだ。
肌の色が何であっても同じ。
信じる神様がいなくても、複数いても、何も変わらない。

己の持つバイアスという、今ではあまり役に立たない脳の機能とその影響に気付くだけで、世の中の差別は激減するのでは、と思ってしまう。


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