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森のかみさま

昨日は、「Lifeライフ 〜ピッコロと森のかみさま〜」(ピッコロの1年間に密着した長編ドキュメンタリー映画)の上映会と中島先生の講演会に参加してきました。
会場の小学館講堂(本社ビル)はとても気が整っていました。感染対策も万全でした。
ビルのエントランスで待って下さっていた女性の方も、会場まで案内して下さって男性の方も皆さん感じの良い方で穏やかな気持ちで室内へ向かいました。会場の隣のお部屋で打ち合わせ中だったピッコロ代表の中島先生に会釈をすると優しさに満ちた笑顔で応えて下さって…。今日もピッコロの映画を視聴出来ること(前回、山梨で観ています)、そして「待つ保育で輝く命たち」というテーマの講演会にもリアルタイムで参加出来るしあわせを感じつつ、席に座りました。
ハラワタあたりから聞こえてくる確かな声は「必然が重なって今ここに座っている」というものでした。

何度見ても、新鮮な気持ちになれる。まるで生き物の様なピッコロの映画は、ピッコロでの愛すべき日常に溢れています。
子ども達の真剣な姿。自分でいることを選んだ子ども達は、様々な場面で自分の気持ちと向き合い、その気持ちを信頼し合っている友だちや保育者達に伝えます。
筋書きのないドラマが生まれるのは、その場にいる誰もがそこにあるものすべて(自然・空間・時空・人などなど)を信じているからだと思うのです。善悪では語れないものの中にある感情の揺れに丁寧に共感して寄り添っていく。ピッコロはすごいけれど、自然の無い都会では出来ない・・人数が多いと出来ない・・一斉保育では出来ない・・保育に携わる同業の方からそんな声も聞こえてきます。実際、どれだけ熱く語っても「すごいとは思うけれど今の環境下では難しい」と言われたり、昔ながらのパワー保育を手放す事が出来ない人達は「自由=放任」という認識のままです。本当にそうでしょうか?環境のせいにしているだけではないでしょうか。
(本当の自由は各々が責任を持ち選択出来る事だと私は思っています)

私はピッコロの保育に触れる度、
講演会に参加する度に
これは自然保育の在り方の話ではないこと、
【大人と子ども】1対1の関りの在り方の話であり、保育をする自分と目の前の子ども、
どんな環境でもどんな保育園でも実現可能な
保育の本質の話であると感じます。
様々なエピソードを子どもへの愛を言葉にのせて
豊かな表現力で嘘偽り無く一生懸命に
語って下さる中島先生。
お話を伺いながら私は映像クリエーターになり、
その時の景色の中に瞬間移動します。
心が震えるのです。
そして、我が子に、
今まで関わった全ての子ども達に、
これから出会う子ども達に思いを馳せます。
過ぎた時間は戻らないけれど、
今が変われば未来が変わる。
そして過去も変わります。過去の全ての時間は
全ての人がより良く生きる為の過程になるのですから。

私はもうすぐ転職しますが、7年間頑張ってきたことは何一つ無くなりません。
そして、次の職場にご縁が繋がる事になった意味も働く中で明確になってくると信じています。

出会いは人生を豊かにします。
今日も素晴らしい一日でした。

保育士は私の天職です。中島先生の涙の美しさに、日々の在り方に、そしてこの時代にこうして出会う事が出来た必然に猛烈に感謝を贈ります。そして、
今回の様にピッコロの保育を広める為にご尽力下さる皆様の思いに胸が熱くなります。本当に有難うございました。

豊かな学びの場で新たに出会った皆様
どうぞよろしくお願いします。

https://www.facebook.com/mori.piccolo/

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