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見えるものと見えないもの

【見えるものと見えないもの】

見えないものに対して
信頼出来ない、と感じて、
スピリチュアルな内容だと
感じられるものに対して、

相手を心配する気持ちから
不安を抱く人って多いです。

口に出さなくても警戒している感じは伝わってきます。

でも、私達はいつだって
見えないもの、
を頼りに生きています。

嬉しい・楽しい・
大好き・愛しい
悲しい・辛い・寂しい…憤り

「感情のすべて」は
目に見えませんが、
私達は見えない感情を信じて

すべての人間関係を
構築しています。

生きる上で無くてはならない「空気」も
確かに存在しているものの
目に見えるわけではありません。

目に見えないものを信頼して
生きているのに、
波動やオーラ、チャクラ、
胎内記憶…等の
耳慣れない言葉を聞くと
不安になって
「批判」に転じます。

壺を売るのは 
いつの時代も「人間」で 
高額な報酬を求めるのも
「人間」の性です。

宇宙に存在する「愛」が
壺を売る事も高額な
報酬を求める事は
今も昔もありませんが

私利私欲に走る人間の性により、
「ただそこに在るもの」という
スピリチュアルの真実は

深い深い霧の中にあり、
今も尚、多くの人に
届くことはありません。

遥か昔、
私達は言葉を持たず、
ただ空を見上げて意識を飛ばし
瞬時に心と心を通わせていた
時代があり

そうして多くの文明が
生まれては 消えていった事
記憶の片隅に誰もがきっと
持っているはずなのに

利便性を求め、
五感を手放し
自分の中の答えより
世論の答えの中に身を委ね
より豊かに より早く
より賢く より多くを求めては
傷付き、満たされることのない
欲望の中を生きることを
選んでしまう。

より多くを持ちたい人は
お金というツールを
必死になって集める。

循環させる事が出来る人が
持つお金はエネルギーとなり
更に多くのものを
生み出すけれど
循環ではなく
自分のテリトリーに
より多くプールしたいだけの、
より多く持ちたいだけの
人が集めたお金は
単なる紙幣であり無価値。

天国にはお金は持っていけない、
と気が付いた時には
そこにあるはずの愛は
無くなっていたりする。

空気を
より多く持ちたい
プールしたい、と
思わないのは

無くならない、と
無意識レベルで
信頼しているから。

お金も愛も同じで
怖れを手放しありのままを
信頼するとき、
それらは目の前から
無くならない。

そもそ自分の物にしよう、
などと思う必要がない事に
気ついた時、
無くす怖れから解放されます。

自分自身に起こる事
自分自身の選択に
責任を持つ事で

人生のどの場面においても
目の前に「壺」は現れませんし、
愛の欠乏も訪れません。

過去に訪れたことがある人も
今現在、欠乏の中にいる人も
自分が望めば、たった今から
そんな現実を引き寄せる事は
ありません。

それは
自分で選択する、事を
知ったからです。


目には見えませんが
確かに存在するものを
信頼することは
この先の人生に
愛の循環をもたらすと思います。

私の周りには
本当に素敵な友人がたくさん、
ありのままに今この時を生きていて優しい眼差しを送って下さっています。

本当に感謝しています。
私もまた、そんなふうに
無償の愛を循環できる人に
なりたいと思っています♡

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