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坂東玉三郎、かずゑ的、1月の声に歓びを刻め、落下の解剖学、反田恭平


生、ライブを味わいたくて、食べ物がないのと生きていけないくらいに、改めて音楽や映画や生身の人間が表現するもの、それを自分の目で見てみたい欲求があるのに気付く。それが無い生活だとしんどくなってしまう。生身のものからエネルギーがもらえて元気になるのを感じる。食べ物以外でも栄養を吸収したくなるし、心身共に元気がないとそういう気持ちにもならないし、健康であることの素晴らしさ、日常に散りばめられた喜びを日々に見出して生きていきたい。

玉三郎。実際にこの目で一目見たく、2024年2月6日、文京シビックホールへ「坂東玉三郎〜お話と素踊り〜」を観に行く。玉三郎は人間国宝になっていたのを初めて知った次第。歌舞伎は若い頃に興味を持ち、歌舞伎座の上の方の立ち見席に通ったことがあったり、幕間にお弁当が食べたくて、おめかしをしていい席で観たこともあるけれど、全く詳しくはない。けれど好き。和の色合いや古いものにどうしても惹かれてしまうこともあり、和楽器の音も心地よく、歌舞伎の世界も惹かれる。でも玉三郎の舞台は実際観たことがなく、シネマ歌舞伎で観た、玉三郎の圧倒的な美しさは印象に残っていただけ。

今回は満席の、前から3列目で観た実際の玉三郎は、気品に溢れた清潔感のある、実年齢を感じない(73歳)美しい男性でした。この〜お話と素踊り〜はもう16回も続いているらしく、毎回テーマを決めてお話をされているそうで、今回は「旅」をテーマに、20代の頃に初めて行ったハワイや写真集の為に行った、イギリス、イタリア、フランス、最近ではアラブの国の砂漠へ。旅の思い出話に時に当時の写真も交えてのお話。観客の皆さんと話が弾む雰囲気で、主に70歳前後の女性の観客も私も、濃いグレーだったか、玉三郎はラフめだけれど仕立ての良いスーツに身を包み、椅子に座ってそのトークに熱い視線を送りながら、1時間くらい耳を傾ける。ベネチアでゴンドラに乗った玉三郎の映像が、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で印象深いマーラーの曲に合わせて流れ、ベニスでのプライベートでの玉三郎が美しくて絵になっていた。質問コーナーでは普段着について聞かれ、普段は冬は黒、夏は白の服を着るそうで、ヨージが好きだとも。イッセイミアケとは面識があってイッセイを着ていた頃もあったけれど、一度も会ったことはないけれど、ヨージの服が好きで普段はヨージを着るとか。ああそうなんだ、似合いそう。男の着物で踊った素踊りは、20分くらい動きが緩やかで、生の玉三郎の美しさ高貴さに触れられ、やっぱりライブがいい!と改めて感じ入った次第。歌舞伎での玉三郎も観たくなった。


「かずゑ的」(熊谷博子監督。2023年)というドキュメンタリー映画を、新聞の記事から知り観に行く。以前、叔母の家の近くの国立ハンセン病資料館には行ったことがあるけれど、昔の病気のイメージしかなかったハンセン病、らい病。ハンセン病療養所で86年間暮らす、映画「かずゑ的」の宮崎かずゑさんの、日々の生活を追ったもの。心身、体、全てをさらけ出し、心の中の思いもご自身の言葉で語られ、熊谷監督が8年間通い詰めて、かずゑさんの生の声、思いを受けとめて記録した映画。

10歳の時に祖父に連れられて、岡山県の島にある長島愛生園に入園。症状が重かったこともあり、軽症患者にいじめられ、庇ってくれる人もなく、死にたかった、海にはまって死のうかとも思ったけれど、翌月にお母さんが面会しに来てくれる、「かずゑ〜」と満面の笑みで定期的に会いに来てくれるお母さんを泣かせるわけにはいかない、自分が死んだら、お母さんも後追いするとも思えるくらいに、お母さんからの愛情を感じていたかずゑさん。園に暮らす多くの患者の方々は、親が面会に来ることもなく、見捨てられたような人も多かったと言う。愛生園に来る人がまず語るのは、親と家族と離れてる悲しい寂しいということよりも、如何に自分が家族に疎まれていたことかということだったとかずゑさんは言っていた。自分のお箸やお茶碗や小皿が、他の家族と別に洗われて離されて置いてあったり、自分のお箸やお茶碗は汚いからと自分で携えていろ、など家族に言われて。。。

映画では、かずゑさんの心の深い深いところにしまってある思い、言葉の数々を、熊谷監督が年月もかけて引き出してくれて、それらの言葉の数々ひとつひとつが胸に残る。こういうものがドキュメンタリーというのだな、と胸に突き刺さるものが大きく、でも痛みはなく、大いなる力を分けてもらえた感じで、勇気と優しさが自然と湧いてくる。かずゑさんの存在と言葉が神々しくも感じられる。かずゑさんを知れてよかった。かずゑさんが84歳で出した初の著書「長い道」を読んでみようと、近所の本屋さんに注文した。人が生きていく上で何が大切かをかずゑさんから聞きたい。


それを思うと数週間前に観た、「一月の声に歓びを刻め」(三島由紀子監督・脚本。2023年)は、ドキュメンタリー映画とそうでない映画とは比較はできないけれど、今、思い出してみても、余りにもかずゑさんからの本物の言葉のインパクトが大きく、「一月の声に歓びを刻め」の言葉は、俳優が演じているお芝居の中だけの台詞なんだな、と変な違和感がムクムクと湧いてきてしまった。また、私には少しカメラショットが長かったこともあり、退屈になってしまった場面が幾つかあった。ただ、カルーセル麻紀が未だに綺麗で、その演技もとても良くて(役柄に見えた。小さい頃テレビで、胸を両手で挟んでおっぱいをプルプル振るわせていたカルーセル麻紀が印象深い)と前田敦子(以前、野田秀樹の舞台とイベントで実物を2回観たけれど、実物の方が声も存在感もずっとよかった。私見)もよかった、とは感じた映画だった。


「落下の解剖学」( Anatomie d’une chute 。ジュスティーヌ•トリエ監督。2023年)は、予告編を観て面白そうだってので観に行ってみた。2023年にカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた作品。ミステリーだけれど、謎解き、解剖されるのは事件だけではなく夫婦の関係とその真相。自分の身にもつまされること多々で、、。嫉妬や憎しみ、複雑な感情、そのもつれを法廷で語られ、懐古の場面はわずか。語られる台詞は膨大で、どんどんその夫婦の真相に迫っていく。やはり、容赦のない過激な夫婦喧嘩の場面がシリアスで一番ぐさりときた。子ダニエル役の子役も、犬のスヌープもよかった。解剖される様子が段々と暴かれていく、こんな怖さのあるドキドキの映画もいい。


クラッシック音楽も詳しくはないけれど大好きで、反田恭平さんのピアノを一度聴いてみたく、反田恭平とジャパン・ナショナル・オーケストラを聴きにサントリーホールへ。反田恭平さんの手元がほんのちらりとしか見ることができなかった席だったけれど、その音色を目の前で聞くことができた。幸せ。反田恭平さんは指揮もされ、私の知っている好きな曲、ラヴェルの組曲「クープランの墓」と、何よりぞっこんモーツァルトの、モーツァルトで私が1番好きな曲「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K. 466 」を聞くことができた。大満足。音楽もやはりライブで味わって、心身共に幸福感に浸り、エネルギーがチャージされていくのを感じる。生きていく上で、音楽も無くてはならない必須のものなのだと心から思う。

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