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アルノー・デプレシャン監督  「私の大嫌いな弟へ」「いつわり」

先月、日本に東京にアルノー・デプレシャンが来ていたなんて!アンテナをよく張っていないから、全く残念なことに、一目お会いしてお話を聞けたかもしれなかったのに!デプレシャン監督の映画愛を生で、わずかでも感じてみたかった。ですが、新作「私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター」( Frère et Sœur。2022年 )と、見逃していデプレシャン監督特集(東京日仏学院にて)の中から、まだ観ていなかった「いつわり」(Tromperie 。2021年)を観てきた。

20代半ばにパリに住んでいた頃に、映画館でデプレシャン監督の「そして僕は恋をする(Comment je me suis disputé…< ma vie sexeuelle > 1996年)を最新作として観て以来、デプレシャン監督の映画に、マチュー・アマルリックに首っ丈になって、エマニュエル・ドゥヴォスに惹かれて(自分の中ではあき竹城に似た感じの女優さんで、独特のただ漏れのセクシーさと声のかわいさ、そして何より演技が上手くて!彼女の出演作はそれでも見たい)、エマニュエル・サランジェのクールビューティーさフランスの若い女性の成熟さに縮こまり、マリアンヌ・ドニクールの男好きするかわいさに少しだけ憧れて(私生活では、デプレシャン監督と裁判沙汰があったよう)、、の、自分自身もパリで学びや恋愛や仕事や友人関係で悩み、もつれていた時でもあり、世間で言われている“恋愛映画の傑作”の映画が正にコレで、未だにデプレシャン監督と聞いただけで、この映画が、マチュー・アマルリックがエマニュエル・ドゥボス、、が直ぐに浮かんでくる。時も場所も超えて心に押し寄せてくる気持ちが懐かしく、心地良いような心地悪いような、、それが味わいたくて映画に強く惹かれて、映画館に足を運ぶ。

デプレシャン監督の最新作「私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター」は、長い間憎み合っている姉弟の話。憎み合うようになった詳しいエピソードが多く描かれないものの、セリフの合間から想像できるそれぞれの感情から、憎み度合いがじわじわと伝わってくる。デプレシャン監督自身にとって重要な映画作家であるクロード・ランズマンの引用を以って、「憎悪には” どのように “ はあるが、” なぜ “ はない」と。

姉アリス役のマリオン・コティヤールと弟ルイ役のメルヴィル・プポーが、そのリアルな時に意味深な会話、笑いながら憎み合う場面の表情など、姉弟の愛情の裏返し的な仲の悪さを知らしめて、映画の中に知らぬ間に引き込んでいってくれた(やっぱり役者が上手くないと、この手の映画は見られない)。そしてラストでは、2人が憎しみから解放されていく様子が伺え、2時間弱の間で、饒舌な会話の中から姉弟を取り囲む家族や知人、友人らの心情や様子がリアルに描かれていた。デプレシャン監督曰く、「人生を修復するのはなかなか難しいけれど、映画では修繕出来るんです」とも。

見逃していた「いつわり」。レア・セドゥに没入、埋没。原作は、デプレシャンが敬愛するアメリカ文学の巨匠のフィリップ・ロスの小説というが、デプレシャンの手にかかると、レア・セドゥの存在感も相まって、余りにデプレシャン的な洞察力のあるニュアンスを含んだ、細かいところまで想像を含ませる映像、愛人との逢瀬のその尽きない会話と台詞、繊細で微妙な心の動きが始めから終わりまで埋め尽くされている映画で、自分自身も年をとったからか、人並みに幾つかの経験と年を重ねてきて、胸に迫り具合が大きくて、デプレシャン監督の作品にもっと浸りたくなった。


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