私のLife Design
家族4人
関東圏で、3LDK団地暮らし
団地も俗にあるthe団地という感じではなく、
白とネイビーの雰囲気のあるビンテージマンション風な団地。
近辺の相場よりもややお得という物件。
団地だけどオシャレな団地暮らしをテーマに
理想のライフスタイルを作っていきたい。
その過程を備忘録として綴っていきます。
◼︎はじまり
なぜ暮らしに、こだわり始めたのかは遡ること13年前。
結婚、育児だけではなく社会へ出たい!
周りより早めに家庭に入ったこともあり...
私も仕事をして自立したいという思いがたって。
スタートした私のLife Design
思い切った捨て活を決行のすえ、
2DKのアパートから脱して
2LDK、車ありのライフスタイルへ
そこから子供が2人、上の子の進学を考えて3LDKへ
今に至ります。
キャリアとしては社会へ出たけど、
子育て真っ只中、キャリアがない私には厳しい世の中で、、、こちらについてはまだまだ苦戦中
ともあれ、13年前に比べたら
割りと自由な暮らしを実現させている気はしてます。
まだまだ理想の暮らしを
アップデートし続けていきたいところです。
ただ同じことの繰り返しにならないよう
ここに書き留めておこうと思います。
では、振り返りも兼ねて。。。
◼︎13年前の暮らし
13年前というと、東北関東大震災が丁度あった時期です。
その頃の私はというと、結婚したてで、夫の年収に頼っていたこともあり。
質素な2DKのアパート暮らしでした。
毎日、部屋は子供のおもちゃ、洗濯物であふれ
子どもと過ごしながらも片付けに追われる始末
少なからず快適な空間を求めて
100均一で収納グッズを買いあつめ、その場しのぎの解決策で、なんとか満たす。
気分を上げたくて、付録つきの雑誌を買い
アイテムをとっかえひっかえ
社会に出て、クリエイティブな職に就きたいけど
そんな余裕もない、保育園も空きがない
ストレスはマックスに到達
産後のメンタルも崩壊寸前の中
なんとか毎日を過ごすという日々でした。
周りの友人は、海外へ留学、仕事でキャリアアップ
ご褒美にいろんな素敵なものを身につけて
旅行に行くなど、、、
家族がいて、割と住みやすい家が借りれて、食べるに困らない暮らしができているにも関わらず。
劣等感を感じずにはいられなかったのです。
◼︎現状からの脱出
そんなこんなでモヤモヤする日々が続き、
海外へいく友人の話をきいるうちに...
この暮らしから脱する!
そのためには資金が必要!
と、一念発起。
見切り発車で、パートに出ることに決めました。
より良い暮らしをするために
初めにしたことが、パートで働くこと。
なんですが、保育園の月謝でプラスマイナス0
プラスにはならないけど、少しだけ自分の時間を
作れたことに嬉しくなり
次から次へと理想の暮らしが膨らみました。
ただお金はついてこない。
次はそのギャップにストレスを感じるようになり、
メンタルコーチをしている友人に助けを求めました。
今あるもので、不要なものを手放してみるのはどうか?!と提案されました。
何もかも執着しすぎて、
何が1番自分にとって必要なのか、
どれが1番大事なのか、わからなくなっていました。
必要なもの、お気に入りのものを身の回りにおいて、満足度を上げるといいのでは?!
その方が部屋の雰囲気も良くなる、ということで。
藁にもすがる思いで、最初の捨て活を決行することになりました。
丁度、「身軽に」「断捨離」「こんまりさん」「ミニマリズム」など流行り始めた頃でもあって。
手当たり次第に書籍を読み、自己流で断捨離をし始めて。1ヶ月くらいずっと捨て続けました。
しばらく経ってWebデザインの講座に通えることになり、
パートをやめ通うこと半年、そこから再度パートではあったけど、webデザインの仕事に就くことができました。
捨てるとその分空間が空き、必要なもの、ことが入ってくる。
まさにこれを体現するかのように
就職支援の一環で
無料で講座が開かれていることを母からきいて
探して見つけたのでした。
自分がどうしたいのか、どのようにライフスタイルを変えたいのか、断捨離をすることで明確になったのだと思っています。
ただ人間関係や会社の雰囲気が合わず。
第二子の妊娠をきっかけに退社しました。
妊娠をきっかけにもう一つ、暮らしやすい間取りに変えるため引越しを実現。
車の免許も取得、都心から少し離れて、車をもつ選択をしました。
大きな家具も断捨離!
おかけさまで、バンを借りて往復2回で引越しも終わったのでした。
それまでに捨てたゴミ袋はきっと50個を超えていたような気もします。
ものを捨てると決めたと同時に
100均一で買い物はしないと決めました。
より良い効果を実感したことで、私のミニマリストブームが始まります。
つづく。。。