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アートを通して人の力になりたい

結論から書こうか。
今年の春に心理検査を受け、夏にADHDの診断が下った。

50歳で自分がADHDだということが分かったのである。

私はずっと鬱期間の多い双極性Ⅱ型と思っていた。
鬱が初めての診断名でもある。もちろん、この診断も間違いではないだろう。

私は比較的のんびり屋さんで、多動とは無縁だった(と思う)。頭の中も常に整理されて静寂そのものだと思っていたが、こればかりは他人の頭の中を覗くことはできないから比較のしようがない。

年齢も年齢なので、診断つくかわからないし、可能性としては幼少時の辛い経験によるトラウマ(複雑性PTSD=愛着障害)が高く、また被虐待児は発達障害と似た症状を出すことから判断に困るようで、心理の現場では度々問題となっているらしい。

とりあえずは、心理検査の結果が夏の終わり頃にかかりつけ医に届いたのであるが、主治医も非常に迷っていた。

結果としては、不注意の多いADHDなんだよね、と。

ちなみに主治医は私のIQについては言及しなかった。一般の水準より低めであることは知っていたので私もあえて聞かなかった。鬱状態の時に心理検査を受けているので、低めに出て当然だと発達界隈の当事者たちは言っていたのでその結果にはこだわらないようにしている。

私自身、人好きの人嫌いでだいぶ人間関係で苦労してきた。

もちろん、いじめの対象になりがちでスケープゴートにされることは日常茶飯事でそのたびに私の自己肯定感や自尊心は削られていった。

仕事に関して言えば、物覚えが悪く一人前になるまでにとても時間がかかるタイプでそのことでも人間関係にヒビが入りいじめの対象になりがちだった。

学生時代も社会人時代も良い思い出なんて何もなく、結婚して専業主婦になり暫くは精神的に安定していた時期が続いたけども、子供が生まれて忙しい子育てが何となく落ち着いた時期に力が抜け、私は鬱になった。

余計なことを考える余裕ができると、人間というものは鬱になるのであろうか。

それはさておき、とにかく私は行きあたりばったりで動き、長いスパンで目標を立ててもそれに向かって「今何をやるべきか」がいつも分からなかった。

ここが「知覚推理」が大幅に下回っていた私の弱点で、目先のことに飛びついてしまうのだ。計画性ゼロ。ご利用は計画的に、がそもそも無理。

言語理解、ワーキングメモリ、処理速度は人並みにあるため、そこそこ器用に立ち回れていたのだろう。とはいえ、私は常識的に振る舞うことに多大なリソースを割いていた結果鬱となり、双極性障害という診断が下ったのであろう。

とりあえず、まさか自分がADHDだったなんて思いもよらなかったので、まだ自分自身を完全に受け入れられていないし理解度も低い。

苦労はしたけどそこそこ社会に馴染んでいたつもりだし、そうやって50年生きてきたからADHDのことを深く知ろうとも思わない。折りに触れ、そういうことだったのか!と腑に落ちる程度でいい。

ただ、薬による治療の選択肢が増えたことは良かったと思っている。

とりあえず、ストラテラというノルアドレナリンの再取り込みを阻害する薬を処方されて飲んでいる。

なんとなく、という感覚なのだが、昔の辛い記憶が蘇ってきても、追体験せずあんなこともあったなぁ、くらいに留まっていてそこから精神が不安定になることが劇的に減ったのだ。

ストラテラ40mgでそれをなんとなく感じ、80mgを飲んでいる今もなんとなくそんな感じだし感情が死んでる感じもしないし、まぁ、うっかりミスがなくなることはないけど、マシになってきた感がある。

あと、作業効率が良くなったようで、家事や片付けが以前よりスピーディーになっているとパートナーに指摘された。

個人的に驚いたのは、今までインテリアとは無縁で壁面ディスプレイなど頭が混乱する感じがして出来なかったのだが、ストラテラを飲み始めてからというもの、壁面ディスプレイが少しのパワーで出来るようになったことが少し自信につながっている。

良い意味で鈍感力が手に入り、ストレスがすくなくなったのか緊張するといつもお腹を下していたのがなくなり、大事な場面でトイレに困るということもなくなった。

物事の先送り癖はあるものの、飲む前よりはマシになった気がしている。

今まで双極性障害に対する薬の処方をされてきたが、ずっと心が苦しかったし何の解決にもなっていない感じがしていたけれど、ADHDの診断がおりて薬が変わってからというもの、この10数年間の苦悩は何だったのだろうかというほどには楽になった。

一時はカウンセリングを受けることも考えていたけれど、過去の傷をえぐって辛い思いを追体験するよりも、薬で楽になれるのならその状態で自分自身を冷静に観察したり、物事の受け取り方を変える努力に力を注ぐ方が心理的に楽であろうと判断した。

心理検査のフィードバックでも、不安が強くなると芸術的活動や宗教的観念に傾倒する、と出ていたので、私に残された才能(と言うほどのものではないが)を生かす時が来たと思っている。

私がゼンタングルというアートに出会い、ゼンタングルを考案したリックさんやマリアさんの哲学に触れ、講師の資格まで取ったのは間違いではなかったのだ!!

アートを通して私は私自身を解放していこうと模索し始めている。

ゼンタングルは競争したり比較するという概念がないのだが、幸いにも私のゼンタングルが好きだと仰ってくださる方もいる。

私の50年間の生きづらさがアートという形となって人の心を癒やし力づけることができるとするならば、私はアートの力を借りて、生きづらさを感じている方の心に寄り添いたいと願うようになった。

私は今まで大きな作品を描こうとして完遂できず、自信を失ってばかりだったが、手のひらサイズの紙に描くゼンタングルに出会ってからは、成功体験の積み重ねが出来ている。

これからは、成功体験の積み重ねを日常生活に落とし込み習慣化していければと考えているくらいに頭の中がクリアで雑音がない(ストラテラ恐るべし)。

私はゼンタングルの講師の資格を持ってはいるが、その前に一人の人間で、完璧な人間ではない。

むしろ、得意分野と不得意分野の差が激しいちょっと残念な部類の人間。残念な部分もこれからはまるっと受け入れて行ければと思う。

アートを通してどれだけ心が通じ会えるのかをこれから体現していきたい。

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