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見たい景色は自分から産まれる

am7:30
主人が久しぶりに会社に出勤する。
朝から出社するのは何か月ぶりの事だろうか。


ここ数か月の間、朝はゆっくりと迎えていたものだから、余計に忙しなさを感じながら、朝の支度をすすめていく。


そんな余裕のない、1日の始まりのくせに、自粛前にはなかった、朝の習慣を1つ追加してみた。


新しい習慣


マイボトルにお茶を用意するということだ。


当たり前の日常にあった、カフェや、外でランチも、今だけは少し慎重になってしまう。込み合う時間は、きっと重なるだろうから、都会でのそれは、余計に少し緊張したものになった。


そうなると、飲み物を飲むときに、必然的にペットボトルの飲料に手が伸びてしまう。


いたしかたないと思えば、そうなのかもしれないけれど、できる限り、ペットボトルの飲み物を、取り入れたくないという気持ちがある。


インスタントな消費


飲み物を飲み終わるまで、早ければ数分。ながくても1日。ペットボトルの寿命は、本当に短い。


その短い時間のために造られたボトルは、ほぼ永遠に、地球に還ることはなく、ゴミとして、永遠に存在することになる。


なんだか、このサイクルが、私はとても嫌なんだ。


手軽に、気軽に、簡単に。というインスタントな発想をすることから産まれた、この仕組みは、私達に、時間というかけがえのない物をくれた。

でも、もう、それはいいんじゃない?な時代になってきたと思うんだ。

多くのことが効率化できるようになったのだから、もう、いいんじゃないかって、多くの人が思うようになってきた。


地球に負荷をかける事への抵抗もあるだろう。せっかく生まれたペットボトルの気持ちになったって、永遠にゴミと呼ばれるのは悲しい。


それに、なにより、丁寧に淹れるお茶は、おいしいんだ。


美味しいお茶を知っていますか?


お茶という飲み物は、決して同じ味になることはない。複雑で、自然のありさま、そのものなのだ。


お茶を淹れるその時の空気、湿度、お湯の温度、蒸らし時間、そういういろんな要素で、がらりと味が変わるのがお茶という自然の恵みからできたものだから。そのぶん、味わいもひとしおなのだ。


丁寧に育てられた茶葉を、人が摘み、火を加る。その芸術品に、私はお湯を注いで、口にする。


お茶を飲むという事は、そういう工程をすべて含んだものだから、ボタンを押して、出てきたボトルを開けて、どんな茶の葉からできたお茶なのかもわからず、何かをしながら、適当に口に放り込むこととは、やっぱり違うんだと思う。


お茶から始まる自然との共生


単なる水分補給のシーンだとしても、そのインスタントなサイクルに飲み込まれず、「お茶を飲む」という意識で、自然や、農作物や、自然と人との営みから、自分の生活を切り離さないでいたいと思っている。だから、マイボトルにお茶を淹れると決めたんだ。


どうしたって、便利な世界に入ってしまうと、自然と自分の存在が、切り離れているように見えてくるけれど、昔の人はよく知っていたように、私達はいつでも自然の一部なのだから、


自然の一部を少しだけ借りて、暮らしているだけなのだから、自然のサイクルに寄り添って、心から健やかに生きて行けるように、一杯のマイボトルのお茶から、そんなことに思いを寄せて1日を過ごしたい。


ペットボトルでこれ以上、地球が悲しまないように。私たちの為に、これ以上ゴミと呼ばれるペットボトルが増えないように。


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