これを書こうかどうか迷ったけれど、韓国語を勉強していて、韓国についてもっともっと知りたいと思える自分がいるから、書きます。

たぶん韓国語の勉強を6ヶ月前に始めていなかったら、こういうことを調べたり考えたりもしなかっただろうから。

4月16日、セウォル号沈没事故から6年

セウォル号沈没事故を取り上げた映画もできてしまうほど時間がたったんですね。

遠いイギリスに住んでいる私にとって、2014年4月16日は、普通の1日だったはずです。ひどい書き方ですが、BBCニュースでこのニュースを聞いたときも、きっと「遠い国で起きていること」と思っていたはずです。

でも、今、韓国語を勉強するようになって、韓国人のお友達ができて、そして、韓国文学を(日本語や英語で)読むようになって、意識的に韓国のニュースや文化を知ろうとする自分がいます。

だから6年前に起きた4月16日の事故について、いろいろ調べて読んでみました。

ただただ悲しい、胸が痛い、しかありません。

日韓なんでも同好会さんがまとめておられるように、本当に胸が痛い事故です。

「船の積載量や改造、出港前の積載量ごまかし」なども判明していて、本来死ななくていい人たち、しかも未来のある高校生が多く死んでしまっているんですね。

許せない事故・事件です。

小説「フィフティ・ピープル」から

私は最近、韓国小説「フィフティ・ピープル」を読みましたが、訳者のあとがき部分で、著者チョン・セランさんが、いかにこの沈没事故がメンタル面で影響を与えたかについて述べています。

ある著者へのインタビューで、以下のように語ったそうです。

2014年から16年にかけては、自分の足元が崩れているという無意識の感覚があった。助けるべき人たちを助けられなかったという絶望が非常に大きく、そのために自然と、人が互いに支え合わずにはいられない場所に関心を持つようになった。連帯が可能になる場所、お互いを救うことができ、また救われなくてはならない場所に。

この小説ですが、私の解釈や感じ方では、この沈没事故が影響を与えているようなエンディングなんですね。

詳しくは書きませんが(ぜひ読んでほしい本です!)、大きな事故が起きるんですが、お互いを救うことができるような終わり方なんです。

またあとがきには、次のようにも書かれています。

この事件は政府の無能を追求するにとどまらず、皆が棚に上げてきた問題のつけが若者たちに回された事件として、国民の深い自責の年を誘ったのである。

最後に、Twitterでは#Remember 0416としてたくさんのTweetが投稿されています。

このことからも人々に深い傷を残している事故・事件ということを感じられます。

強く思うのは、こういうことがもう二度と起きてはいけない、ということです。

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