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普通の幸せって何だろう

何が日常なのか

そろそろ起きなきゃヤバイ💦と焦る
毎日、日の光を浴びる
お昼は何を食べようかなー♪とあれこれ考える
〇〇が欲しいな
新年の目標を立てよう
早く寝よう

そんなこんなを考えながら、毎日を送ることが普通だと思っていた。
それがささやかで幸せな日常だと。

でも…そうではない人もいる

今いるココロの場所

起きたらつらい1日が始まる
出かける気にならない
吐き気や胸のつかえで食事の時間がつらい
欲しいものはない
体調さえ治ればいい
寝たらまた苦しい明日が来る

普通の生活が送れないという日常

相田みつをの
“しあわせは いつも じぶんの こころが きめる‘’
のような言葉に、「そうだよね」と支えられることも多い。
でも、今のココロやカラダの状態によって、どうしたってそう思えない時もある。
上記のような日常を送りたいのに送れない時もある。
そして、そうなるのは自分かもしれないし、家族かもしれないし、友だちかもしれない。

そしてそれは突然やってくる

カラダの不調が先なのか、ココロの不調が先なのか、それはわからない。
何かきっかけがあったのか、なかったのかもわからない。
円環的に影響しあい、その状態を深めているのだけは明らかだ。
きっと自分でもどうしたらいいのかわからないのだろう。
彼にとっては今がボトムで、これ以上状況が悪くならないように止まっている(=ひたすら動かず寝ている)ことをカラダもココロも選択しているように見える。

原因を求めない

つい「何が原因なんだろう」と少し前までの私は原因を追究しようとしてきた。
しかし、それは得策ではない。
知ったところで、その事実は変わらないからだ。
カラダの不調は確実にココロから来ている。それはわかっている。
それなら身近にいる応援者としてどうする?成人している彼に対して何ができる?

一般論からしたら、成人しているんだから‘親の出る幕はない’のか。
でも、一緒に暮らしているし、心配。
ささやかな日常をまずは幸せと感じてほしい。
ただそれだけ。

いま、できること

彼が日常を送れていないことで、私も一緒になってココロを砕いていた。
そして、何とか日常を送ってほしいと
「太陽の光を浴びに外に行ってみたら?」「デジタルデトックスしないと脳が疲れるよ」「起きて胃を動かそう」などなど、急かすばかり。
急かしては、それをしない様子にイライラしたり、今後の人生を憂いたり…。

でも、それができないのが今…。

いくら私が私の基準で声がけしても、あくまでそれは私の考え。
今までの人生、良かれと思って、私は彼のバウンダリーを超えていた。
先回りしてリスクを回避できるよう彼の決断や失敗の権利を奪っていた。
それをきっと鬱陶しいと思いながら、長年の習慣でそのレールに乗ることに慣れ、他の選択肢を選びたい気持ちを封印してきたのかもしれない。

ずいぶん遅い子離れ、親離れとなり、無意識の依存期間が長かった分、離れるのにどれだけ苦しみや困難があるのかはわからない。
でも、あとは上がるしかないと信じ、彼が「大丈夫」と思えるように、
ささやかなHappyを味わえるように、バウンダリーを意識して見守っていきたい。





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