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第21回 自力の視力回復体験談 0.1以下から0.7まで1年4ヶ月 ~私の近視歴 ⑮ 諦めてしまった後の私の視力(1)~ 星の力

神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。

 一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。

 本日は、『自力の視力回復体験談』。
 年齢40代半ば、
 視力0.05~0.06(乱視あり)、
 左は緑内障(眼圧等により視神経が欠損し、視野が欠けていき、ひいては失明に至る恐い眼病)あり、
 メガネ歴33年(コンタクト歴25年)、

であった私が、一念発起により、
1年4ヶ月で、視力を0.7(運転免許眼鏡等条件解除)まで回復することができました。

 この体験から、多くの近視の方達に、
   実は自力で視力回復できる可能性が高い
ことをお伝えするための企画です。

 本日は、第21回。内容は、“私の近視歴⑮ 諦めてしまった後の私の視力(1)”です。

 第16回で、私の近視歴として、中学1年生の私が、自力の視力回復を試みたものの、オリオン座の見え方が弱まったことから、視力が逆戻りして悪くなってしまったのだと思い込んでしまい、自力の視力回復を諦めてしまい、星もすっかり見なくなってしまったことをお伝えしました。

 中学1年生のときに自力の視力回復を諦めてから、私は、すっかり、自分の視力に無関心になりました。
 当時から流布され、現在も流布され続けている、

“近視で一度下がった視力は、何をしても上がらない”
という
   誤った考え
にすっかり支配されてしまったからです。
 視力は、あとはただ下がる一方なのだと思い込んでしまっていました。
 上がることがない視力がただ下がるのを防ぐためだけに、テレビゲーム等の楽しいことを我慢しよう、などとは、全く思えませんでした。
 自力の視力回復を諦めると同時に、ファミコンも再開してしまいました。
 かろうじて、勉強するときに、机から30センチは目を離す、ということだけは、続いていました。
 あと、高校2年生くらいまでは、私が診察を受けた眼科医が言っていた、“授業中だけメガネを掛ける”というのを続けていて、日常生活ではメガネをかけませんでした。
 ですが、段々、メガネをつけたり外したりするのが面倒くさくなってしまい、高校2年生くらいからは、普段からメガネを掛けるようになってしまいました。

 今振り返ると、中学1年生から高校2年生まで、メガネを授業中のみとしていたことは、最低限、視力に良かったことだと思いますし、高校2年生で、面倒になってメガネを普段からかけるようになったことは、視力に良くなかったことだと思います。

 普段からメガネを掛けるようになってから、ただでさえ、中学1年生の諦め以降に低下していた私の視力の低下は、一気に加速しました。それこそ、坂道を転がり落ちるように低下の一途をたどりました・・・。
 具体的にこの頃の視力がいくつだったかはわかりませんが、すっかり関心もなくなっていました。0.1だった視力がさらに下がっている、くらいの認識でした。
 そして、大学受験を経て、大学に入学したころには、メガネなしでは日常生活が送れないほどに、私の視力は低下していたのです。
(続く)

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