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緊急入院で実感! 困ったときはお互いさま 生きているだけで花マル ペイ・フォワード記事Vol.50

二歳の息子 救急車で運ばれる

専門家のアドバイスに感謝

乗り物が大好きな二歳の息子。まさかいつも道路で眺めている「ピーポー」のお世話になるとは、本人は夢にも思っていなかっただろうし、実際に覚えてもいないのです。

この日の午前は、娘の通う園の夏祭りでした。楽しく遊んで解散になる頃、息子は眠たいのか抱っこをせがんできました。いつもならお友だちと遊ぶはずなのに、そんなに眠いのかなと不思議に思いながらお祭りは終わりました。その後、夫もやってきて家族4人で外でお弁当を食べようとしたところ、息子の体が異様に熱いことに気がつきました。その場にいた医療従事者の友人のアドバイスを受け体を冷やし、急いで医療機関で受診することになりました。その場にいた方たちの看護、アドバイスのおかげで、早急な対応をすることができました。今思い返しても、あの場にいらした皆さんの看護がとても意味があったと思います。ありがとうございました。

看護師さんや友人の一言が記憶に残り 迅速な対応に

医療機関を探していた時間帯はお昼休みにあたるために、電話してもどこも断られてしまいました。ただ、園の先生からは「子どもはあっという間に体調を崩しますよ」と言われていたので、少しでも早く診察してくれるところを探していました。受診したのは、オープンして間もないクリニック。午後の受付時間より前でしたが、事情を話したらありがたいことにすぐに診察してくださることになりました。この時は熱中症ではないかということで点滴をして帰宅。帰るときに看護師さんからこんなことを聞かれました。「熱性けいれんになったことはない?」なったことはないです、と返すと、「熱性けいれん気をつけないとね。」と言われ、妙に記憶に残りました。

帰宅してからは息子は娘と仲良く遊んでいたので安心していました。日中に心配をかけたので、娘の園の保護者や先生に、早めの処置をしてもらい今は元氣です、と報告したところ、日中看護をしてくれた医療従事者の友人は、「あのとき医療機関がなかなか見つからなかったから、遠慮しないで救急車を呼べばよかったと思ってました。」と連絡をくれました。困ったときには遠慮しないで救急車を呼べばいいんだ、とこの時決意しました。

さて、寝る時間になっても息子の熱が下がりません。抱っこしていると、突然動きが止りました。目を開けたままあらぬ方向を見ていて、腕も硬直しているように感じます。そして足下がぴくぴく動き始めました。「これが日中看護師さんがいっていた『熱性けいれん』だ!友人が言っていたように、ここは救急車だ!」とすぐに判断。救急車を呼びました。

この上なく困ったときに頼れる専門家さんたちのリレー

私は救急車で息子に帯同し、病院に到着するまでずっと呼びかけ、手を握っていました。私があせっても仕方ないので、できるだけ冷静に。その状況の中で、救急隊員の方たちは、最初の電話に出るところから一貫して冷静沈着。すでに取り乱しているかもしれない家族を落ち着かせるような態度です。そのおかげで、私も夫も娘も、自分がすべきことに集中することができました。息子と共にいる私、着替えなどを準備し救急車を追いかける夫、弟の無事を祈り絵本を用意してあげる娘。その一瞬に集中するばかりです。
長かった高速道路の移動を終え、ようやく病院に到着。診療時間外で点いている電気の数が少なくなった病院でも、救急搬入口は明るく希望の光に見えました。そこで待っていてくれたのは、医療のプロフェッショナルのドクターやナースのみなさん。まだ意識のない息子に向かってにこやかに声をかけてくれました。それを見て私も緊迫した氣持ちが少しほぐれ優しい先生方でよかったと安心しました。救急のプロの救急隊員の方たちからバトンは病院スタッフの方たちに渡されました。

友人、家族、総出で私たちをサポート

息子が救急車で運ばれたのは平日の夜九時過ぎ。私は息子と6日間入院することになったので翌日から娘の面倒を見てもらうために実家に電話しましたが出ません。SNSで事情を説明し、迎えに来てもらえないか相談しました。
夜は息子の手を握りながら意識が戻ることを祈りながら寝ました。夜中に「マミー・・・」とつぶやくのが聞こえ、意識が戻りつつあるのかと祈りの氣持ちを強めた私です。翌朝、高熱は続いていましたが息子がうっすら目を開けたのです!何度も名前を呼ぶと、目を開けました。「マミーはどこ?」と聞くと、私のいる方を向いて目を合わせてくれました。ついに意識が戻った!と安堵と嬉しさとが全身を駆け巡りました。
このことを夫に報告しようと携帯電話を手に取ると、メッセージが届いていて、私の実家の両親が朝7時にはもう家に来てくれていたというのです。おそらく早朝に私からのメッセージを読んで、5時半には家を出発してきてくれていたに違いありません。そのまま娘を私の実家に連れて行って遊んでくれました。朝から長距離移動にも関わらず私たちのために行動してくれた両親に大きな声でありがとうを伝えたいです。
また、息子が入院し娘が私の実家にいると知った友人が、娘のために花火をプレゼントしに会いに来てくれました。いつも「困ったときはお互いさま」を合い言葉にしている友人です。心の底から感謝の意を示したいです。

困ったときはお互いさま 一番困っている人は生きているだけで花マル

この一件を振り返って意味づけするにはまだ日が浅く、私の手には負えません。でも、とにかく「生きているだけでいいんだよ」ということだけは言えます。
6日間の入院が最初から決まっていて、入院三日目には熱も下がった息子はいたずらをするくらいにもなってきました。正直反射的にきつくしかってしまうこともありますが、すぐに氣持ちを整えて「いやいや、生きていてくれるだけでいいんだよ。可愛いもんだ。」と思えるくらいに。
人生にはいろんな段階、出来事がありますが、とにかく「困ったな」と自分なりに感じたら「生きている自分、えらいぞ!」「とにかく、生きよう。」「困っているんだから、頼ろう!」と考えられたらいいなと思います。困り感は他の人と比べる必要がないので、自分がつらい、大変と思ったら頼っていいんだと思うのです。
この出来事を通して、これからまた深い考察をしていくことになるかと思います。そして「ただただ生きていることの素晴らしさと愛おしさ」を伝えられたらと思います。
また、救急車を呼ぶのも無料、入院費も食費の実費以外は無料で提供してくれる日本の社会保障のありがたさを実感しています。このような社会で生かしていただいている息子の命も私の命も、「生きているだけで素晴らしい」、なおかつ「困ったときはお互いさま」と頼り頼られる社会の広がりに貢献できればと思いを新たにしたのでした。

オマケ
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