募金活動をして感じた 人の心の奥深さ ペイフォワード記事 Vol.11
インドネシア震災の支援からみえてきたこと
ペイフォワードについて書いていると、募金という行為にも注目することが増えました。今日は、ペイフォワードや恩送りについて「贈る側」と「受け取る側」について考えを深めるために、最近行っているインドネシア震災支援の募金活動を取り上げます。
なんで気付いてあげられなかったんだろう
先月、マレーシアで生活していた時に仲のよかったインドネシア人のニサからメッセージが入りました。
「1週間前インドネシアで地震があって、テント生活をしているんだ。」
2022年11月21日に、インドネシアの西ジャワ島でM5.6の直下型地震が起きたというのです。
日本ではインドネシア震災の発生当時にニュースになったようですが、その後はあまり取りあげられていなかったようです。ニサからの連絡を受けた時に私は衝撃を受けました。なんで大事な友人ニサがつらい思いをしているのに、インドネシアで地震があったことを知らなかったんだろう。そんな気持ちで心がいっぱいになってしまい、「なんとかしたい」という言葉がぐるぐると頭の中を回りました。
ニサを支援したい!とにかく私に何かできることはないか?せりあがる気持ちでSNSに情報を載せました。
「大事な友人ニサのためにお金を送ってあげたいんです。私のできることなら何でもするので、チャリティーとして寄付してくれませんか?」
こんな投稿が、ニサのためにとったひとつ目の行動になりました。
思いもしない展開の連続
ニサを助けたい!その一心で、翌日から様々な知り合いに会いに行き、状況を説明して何をすればいいか相談に乗ってもらいました。行く先々でかなり具体的なアドバイスをもらい大変心強かったのを覚えています。
さらに、私のSNS投稿を見た友人たちが個人でできることを次々に提案してくれたのです。
「今度こういう企画をするからその時に募金箱を置いてみるよ。」
「こういうことはスピードが大事だよね。銀行口座に寄付金を振り込むね。」
「東日本大震災の時にとにかく世界中の人に支援してもらったから恩返ししたい。なにができるか考えてみるよ。」
「一緒にチャリティーイベントを企画してみよう。」
このように愛情あふれる行動を皆さんが取ってくれたのです。
困った時に頼れるのが「ともだち」
ニサは私にメッセージを送った翌日に寄付金を集め始めたことを知りとても感謝してくれました。そして、「私はただテント生活をしているということを伝えたくてメッセージを送っただけなのに、『なにができる?』と聞いてくれてとても嬉しい」と言っていました。
そこでニサには、「楽しいおしゃべりをするだけではなくて、こういう困った時に頼れる人こそともだちだよ。頼っていいよ。」と伝えました。それを聞いてニサは「Terima Kasih (トゥリマ カセ=ありがとう)」と何回も繰り返していました。
ふと最近の募金活動を振り返ってみると、私がニサのために募金活動をしようと決意した時、このセリフを自分に言ってあげてよかったんだな、ということに気が付きました。
「楽しいおしゃべりをするだけではなくて、こういう困った時に頼れる人こそともだちだよ。頼っていいよ。」
そう、誰かを支援する時に自分が疲弊してはいけないのです。
「頭ではなくハートで寄付する」
今日、仙台のペイフォワードカフェの代名詞、Awesome Cafeでインドネシア地震のことについてお話させていただきました。そうしたら、「頭で考えるのではなく、魂がピンと来たので寄付させてください。」と封筒を渡してくださった方がいらっしゃいました。封筒を開けた時、この方がどんな気持ちでこのお金を入れてくれたのかとしみじみ感じ入りました。
この経験を通して、ますます私が多くの方とのご縁に支えられていること、そして、このお金がいかに価値のある尊い存在だということを再確認することができました。だからこそ、お金の裏にある、人々のハートの部分もニサに届けて、この募金活動を機に日本人とインドネシア人が心の交流ができるようにしたいと思えました。
募金して気付いた「贈る側」の気持ち
支援される側と支援する側
前回の記事(Vol.10)では、コミュニティフリッジひまわりを利用する方と支援する方は対等であること、支援者も「誰かのいのちのために自分なりの行動をさせていただいた」という気持ちになるということについて触れました。
これまで、募金やペイフォワードチケットを「使う立場」の気持ちを考えることが多くありました。しかし今回募金を集めてみることで「贈る立場」にも様々な背景や気持ちがあることに気が付きました。
ペイフォワードや恩送りという言葉が思い浮かぶより先に、「自分が誰かのために役に立ちたい」とか、「大変な思いをしている人をみかけたらとにかく何かしたい」という気持ちになる人もいるでしょう。
「誰かのために行動したと思っていたけれど、実は自分が救われた」という経験を持つ人も多いかと思います。
もしかして、「贈る立場」「使う立場」と分けるのではなく、自分と社会の繋がりをどう捉えているかを深掘りすると、贈与経済としての恩送り文化をよりよく理解できるようになるのではないかを考えました。
ペイフォワードは自分と向き合うきっかけ
寄付をする(贈る)にも、ペイフォワードチケットを使う(受け取る)にも、勇気が必要な瞬間があります。
例えば寄付をする文脈ならば、
「寄付したいけど、こんな金額でいいのかな」
「相手への気持ちを募金で示したいけれど、自分の財布に余裕があるとは言えないし、どうしよう」
ペイフォワードチケットを使うとすれば、
「誰かがお金を払ってくれているチケット、私が使っていいのかな。」
「チケットを使ったら、後でチケットを買わなくちゃいけない気持ちになりそうでモヤモヤする・・・。」
今日も「ペイフォワードチケットをいつかは使ってみたいと思っているけれど、まだ使うことに抵抗がある。自分の気持ちに嘘をつかないで使いたい!と思えた時に使ってみます。」と吐露した方がいらっしゃいました。
どういう心理状態や姿勢がいいとか悪いとかいうわけではありません。「恩送り」とか「寄付」とかいう視点を通して、自分自身の心理状態と向きあったり、コミュニティにおける自分の立ち位置を整理するきっかけが得られる。私は、そんな風に捉えています。
皆さんも、自分はどう生きたいか、世の中とどう関わりたいか、という軸を通す時には、「恩送り」や「寄付」ということについてハートに問いかけてみてはどうでしょうか。そうすると面白い視点が見つかるかもしれません。
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