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何もない自分

確かに、人とは違った生活を送っている人とか
人が羨むような、自由な生き方をしている人などが
ブログや、Twitterを発信すると
沢山の人が集まってくるだろう。

考えてみると、自分には特になんにも、コレというものがない。
割と思い切った人生を歩んでいるつもりではあるが
誰かがそれを聞いて、新鮮な感動を覚えるとかっていうのは
「ないな」って思う。

そんな自分なので、ツラツラとブログを気ままに書いてしまうのである。
気ままなブログは、時に自分にとっては、とても楽しいものでもあるので
それはそれでいいのかもしれない。うん。

自己肯定感!

自分のプロフィールを明かすと、
子供の頃、親の仲が悪くて、夜中に起こされるたび
喧嘩の仲裁役として駆り出された。
しばらくすると、慣れてきて、適当にあしらうようになっていったけど
喧嘩は激しくなるばかり。

警察を呼ぶように母に言われて、呼んでみたり
目の前で母の腕をおられたりして、救急車を呼んでみたり
男の人に対する憎悪感と、夫婦に関する絶望感が激しく根付いてしまった。

人生、ゴミみたいなもんだ。
いっそ心を閉ざして生きていこう。
誰よりも、あざとく、自分を心の奥に閉じ込めて
自分を表現することを止めよう。

そんな風に思ってしまった。
その先は、時々壁にぶつかりながら、一度閉ざした心が
再び、自由に羽ばたくことはドンドン難しくなってしまった。

今となっては、あんな自分やこんな自分が現れて
統一性のない意見を発してしまったり、
その時の気分によって、いろんなキャラを作ってしまうようになった。

一番難しいのが、自分が一体どう感じているのか、
どう思っているのか、本当の気持ちが見えづらいことだ。

でも自分は自分で作ってきたのであって、
決して周りのせいではない。
自己責任。
これからも、日々、反省や勉強を重ねつつ
経験を積むしかないのかもしれない。
一生、勉強ですね。

なかなか卒業もゴールも見えない。
つまらない話でした。
読んでくださった方、長々とお付き合いいただき
大変ありがとうございました。

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