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戸越銀座の話

戸越が戸越銀座になったのは(という言い方も乱暴だが)、関東大震災の時に、銀座からがれきのレンガを譲り受け、当時水はけの悪かった(今も悪いと思うが品川区はがんばってるよ)戸越の大通りに敷き詰めたのがきっかけであるという話をよく見る。

おそらくここまでは事実だろう。ただ、時々腑に落ちない解説がある。

戸越銀座駅の近くに、当時のレンガが展示されている。レンガには「SHINAGAW」と書かれており、これは、当時の品川白煉瓦という会社が作ったものだ。
銀座は、明治5年の大火で、これからは火事に強いまちづくりを、ということで、レンガで街を作った。一方で、品川白煉瓦は耐火レンガを製造しており、当時のガス発生炉用耐火煉瓦として銀座で利用されていた。

で、おそらくその時に使われていた耐火煉瓦の一部が戻ってきて戸越で使われたのだろう。

で、なぜ、戸越の人々は銀座で煉瓦を譲り受けようと思ったのか、というところで、品川白煉瓦の創業者である西村勝三氏が、レンガを通りに敷き詰めてはどうかという提案をした、という記載が戸越銀座商店街のサイトにあるのだが、西村氏は明治40年(1907)に亡くなっているので、時系列がおかしい。
関東大震災は大正12年(1023)である。

https://www.togoshiginza.jp/about

震災以前に、西村氏が「戸越は水はけが悪い、銀座のレンガでも敷き詰めればいいのに」みたいに言っていた可能性は否定できないが、なんの情報もないのであった。

ということをメモしておきたかっただけの人生だった。

今のところネット上の資料しかチェックしてないので、もうちょっと色々広げてみたいところ。

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