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私というひと②〜ギルバート

小学校低学年の頃、世界名作劇場で「赤毛のアン」を毎週欠かさず観ていた。その後、原作本の存在を知り、村岡花子訳の「赤毛のアンシリーズ」の「アンめぐる人々」(アンはほぼ出てこない)以外の全ての巻を夢中で読んだ。

特に青春時代から、結婚して子供たちがたくさん生まれるところまでを繰り返し読んだ。アンは特別に美人ではなかったけれど、色白でほっそりとして、とても魅力的な女性に成長し、優しくて思慮深いギルバートと結婚する。

小学生だった私は、将来はギルバートのような優しい人と結婚するのだ、と胸をときめかせていた。なぜかとても確信を持っていた。今考えても、なぜそんなに確信していたのか、よくわからない。

冷静に考えると、小説を読む少女たちが(少年もいたと思うが)憧れるような、夢のような設定だったと思う。

アンがどのように振る舞っても、失敗しても優しく受け止め、ずっと1人だけを好きでいてくれる、「こんな奴ホントにいるわけねえよ❗️」的な存在だ。

ところで、私はお世辞にも美人ではない。コミュニケーションも苦手で、とても根暗だったと思う。(今でもそうだけど)クラスの人気者やイケメンたちには見向きもされなかった。

ああ、それなのになぜかそれなのに、いつか結婚するんだという自信があった。子どもを産める年齢までにできなくても、50歳くらいにはパートナーを見つけて暮らせればいいや、と思っていた。

私は見た目に自信がない分、相手の見た目にもこだわらなかった。そして、美人でない私を好きになってくれる人はもれなく真面目で優しい人である、と思っていた。そしてそれは実際にそうだった。

私は世間一般からはみ出してしまう人間で、このコミュニケーション能力の低さをなんとかしなくては生きていけない、と考えはじめた20歳の頃から四苦八苦して12年後。自分でも思いがけず早く(私にしては)結婚することになった。

子どもを産める年齢では結婚などできないであろうと悟っていた私には、予想外の出来事だった。

そして、「結婚なんてしてみないとわからない。上手くいってもいかなくても、一か八かの賭けだと割り切って一度結婚しとこう」という、潔い気持ちで結婚に臨んだ。

よく周りから聞くのは、付き合っていた時にはわからなかった、嫌なところが少しずつ見えてきて、どんどん気持ちが冷めていくという話。結婚式の準備に忙しかったある日、既婚者の同僚に言われた一言。「今が一番楽しい時ね」

「ええっ❓じゃ、結婚直前がピークで、これからずっと下り坂ってこと⁉️何のために結婚するの❓」納得がいかなかった。私の反抗心がむくむくと湧きあがった。

その時、私は思った。世間一般に馴染めなかった私が世間一般の流れのとおりになるもんかと。世間に馴染めない自分を逆手に取ろうと思った。少しでも、幸せを長続きさせてやる‼️

ホントはやりたくなかった披露宴も無事に終わり(人生で初めて主役として大勢の注目を集めたことだけは、気持ちが良かった)、日常生活が始まった。

夫は本当に穏やかな性格で、なんでも「先にいいよ」と言ってくれる。「俺だ!俺だ!俺が先だ!」なんて言葉は微塵も持ち合わせていない。

私のことを好きになってくれる人は真面目で優しい人!という思い込みのもとでうっかり結婚したことは事実だった。しかし瓢箪から駒、半信半疑から出たまこと?

夫はまさに日本版ギルバートであった。私の話がどんなに長くて要領を得なくても、頭の中が怒りでいっぱいになって、呪の言葉を、延々と吐き続けても、「そうなんだね」と穏やかに話を聞いてくれる稀有な男性だった。結婚してこのかた、否定された記憶がない。(忘れているだけなのか?いや、執念深い私が忘れるはずはない)

風邪をひきやすくて、一度ひくと何もできなくなり、布団に横になったまま、2、3日役立たずになってしまうことと、幼い頃の歯医者でのトラウマにより、虫歯の治療に行けないという、数少ない短所は置いておくとして、ギルバートだろう、これは。いや、ギルバートじゃん。顔はご想像にお任せします。(10人中10人が「優しそうなご主人ね〜」と言ってくることは明記します)

結婚して今年で18年。私たち夫婦の関係は夫のいい意味での忘れっぽさに助けられている。

私は根に持つタイプなので、あの時言ったあの言葉で、夫が気を損ねたのではないか、だんだん飽きられていくのではないか、という不安が出てこなかったといえば嘘になる。しかし、それは杞憂だった。少しだけピリッとした空気が流れたりするものの、翌日にはすっかり忘れている様子。何回も話している自覚のある私の思い出話も、初めて聞いたように驚いてくれる。(聞いたことを忘れているとも言える)

結婚して18年にもなると、相手が今大変そうだな、余裕がなさそうだなと気づくとお互いに「休んでなよ」「気晴らしに行ってきなよ」「今日は子どもたちはこっちでみるよ」などお互いにフォローし合うので、ますますピリピリ感は無くなってきた。むしろ、結婚当初の方がまだ相手が何を考えているのか掴めず、不穏な空気が時々漂っていた。

もしも別れるとしたら、私が愛想をつかされてであろうことは大いに覚悟している。ギルバート様、こんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

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