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これならわかる!超簡単!図で見る日本古事記🇯🇵 2

大国主神による国造り

大国主神の治世下で、葦原中国は豊かさを増していきました。山々は緑に覆われ、川には清らかな水が流れ、平野には黄金色の稲穂が広がっていました。人々は笑顔で暮らし、互いに助け合いながら日々の生活を送っていました。大国主神はこの発展を誇らしく思う一方で、いつかはこの国を譲らなければならないという運命を感じ取っていました。

大国主神による国造り

葦原中国(あしはらのなかつくに)とは、日本神話における地上世界のことを指す言葉です。「葦原」とは、葦が生い茂る湿地のことで、「中国」は「中つ国」と書き、「上界(高天原)」と「下界(黄泉の国)」の中間に位置する国、すなわち人間や神々が住む現世を意味します。
日本神話では、葦原中国は高天原(神々の世界)と黄泉の国(死者の世界)の間に存在する世界とされ、主に人間や動物が生活する場所とされています。この地上世界は、天地創造を司る神々、特にイザナギとイザナミによって形作られ、その後、大国主神(おおくにぬしのかみ)によって治められました。
大国主神は葦原中国を発展させ、山々や川、豊かな平野を作り、人々が平和に暮らす理想的な国を築き上げました。しかし、神々の世界である高天原との関係が重要で、最終的には葦原中国を天照大神(あまてらすおおみかみ)に委ねることになります。この「国譲り」と呼ばれるエピソードでは、大国主神が自らの治める国を天照大神に譲り、天皇の祖先である神々が地上世界を支配することになったとされています。
葦原中国は、神話の舞台であると同時に、神話の中で現実世界である「日本」そのものを指しているとも解釈されます。

天照大神の決断

高天原では、天照大神が深い思索に耽っていました。彼女は葦原中国が十分に発展したと判断し、自らの子孫をその地に降ろし統治させる時が来たと決断しました。「準備を始めよ」という天照大神の命令とともに、神々の間にざわめきが起こり、天孫降臨の準備が始まろうとしていました。

天照大神の決断

大物主神の出現

大国主神が葦原中国を見守っていたある日、突如として彼の前に一柱の神が姿を現しました。その神は幻想的な姿をしており、自らを大物主神と名乗りました。さらに、大国主神の幸魂・奇魂、つまり分身でもあると告げたのです。大国主神は驚きに目を見開きました。確かに目の前の神には自分の面影がありましたが、それは単なる分身というには、あまりにも強大な存在感を放っていました。

大物主神の出現

大物主神の提案

大物主神は大国主神に向かって、葦原中国を天孫に譲るべき時が来たと告げました。そして、その見返りとして、自身を「倭の青垣、東の山の上」(三輪山)に祀ることを要求しました。大国主神はこの提案を黙って聞いていました。その意味するところを、彼は深く理解していたのです。

大物主神の提案

大物主神と大国主神の関係同一神または分身としての解釈: 大物主神は、大国主神の別名や化身として伝えられることがあります。大国主神が国造りを行う際、彼の一部分、または分身として大物主神が現れたという解釈がなされています。これは、日本神話の中で神々が複数の形や役割を持つことがあるという特徴を示しています。
三輪山信仰: 大物主神は特に奈良県の三輪山に関連付けられており、この山自体が神聖視され、大物主神が鎮座する場所とされています。三輪山の麓にある大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主神を主祭神として祀る神社で、古代から非常に重要な神社として崇拝されてきました。
蛇神としての大物主神: 大物主神は、蛇の姿で現れることもあり、これは大国主神の神話における別の側面を象徴しています。大物主神が三輪山に蛇の姿で住むと伝えられ、豊穣や水の神としても信仰されることが多いです。
国譲り神話での役割: 国譲り神話では、大国主神が葦原中国を天照大神に譲る際に、自らは表舞台から退き、息子たちに地上の支配を任せます。このとき、大国主神は目に見える形での統治から手を引きますが、大物主神として霊的な形で国土を守護し続けたとも言われています。

大国主神の決断

長い沈黙の後、大国主神は決断を下しました。彼の心の中では、自分が心血を注いで造り上げたこの国を手放すことへの悲しみと、新たな時代の幕開けを予感させる期待が交錯していました。そして彼は、ゆっくりと頷き、大物主神の提案を受け入れることを告げたのです。その言葉には、深い決意と覚悟が込められていました。

大国主神の決断

日本神話における重要な転換点、つまり大国主神から天孫への国譲りの過程が描かれています。

まず、大国主神による葦原中国(日本)の発展が示されます。次に、天照大神が葦原中国の統治を自らの子孫に委ねる決断を下し、使者を派遣する様子が描かれます。

そして物語の中心となるのが、大物主神の出現です。大物主神は大国主神に国譲りを提案し、その見返りとして三輪山に祀られることを要求します。

最後に、大国主神がこの提案を受け入れる決断をする過程が描かれます。この決断により、大物主神が三輪山に鎮座することとなり、後の大神神社の起源となります。

この章は、大和の地、特に大神神社や三輪山の持つ深い神話的意義を示すとともに、日本の神々の秩序が再編される重要な転換点を描いています。


大神神社の起源

大国主神が大物主神の提案を受け入れたことで、大物主神は三輪山に鎮座し、その後、大神神社が建立されました。大神神社は、三輪山そのものを神体山とし、社殿を持たない古い形の信仰スタイルを守っています。このようにして、大物主神を祀る大神神社は、国譲り神話の中心的な舞台となり、日本の神話的秩序が再編された場所でもあります。

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