「それはそれで良かった」という前提を置いてみる。
年始から1日が秒でめくるめくランチ抜き・バタンキューみたいなスケジュールなんですが(どうしてこうなった…)、今日のランチはかわゆしメンバーと歓迎会で、しばしほっこり。
と思ったら、Twitterでまたしても私の生態や発言が晒されていて、私って日々こんなにも無防備・無意識に漢らしい発言を垂れ流してたとは…!
役職名で呼ぶのなしね、としてるので、皆が名前かニックネームで呼びあってるのですが、私は会長はじめ数人に「お父さん」と呼ばれています。
なんで私より年上のおじちゃんたちに「お父さん」て呼ばれなあかんねん!って憤ってましたが、自分の漢らしさ全開発言をテキストで見て納得しました。(´;ω;`)
それはまあさておき、もうすぐ40代なメンバーと今日しみじみ話してたのは、
「40代、うんと自由で楽しいよ」ということと「それはそれで良かった、があるよ」ということ。
なんていうか、人生には一見、自分の力ではどうしようもないことに巻き込まれたり、思ってもない方向へ運ばれる、気がすることがあったりするものです。
そのことを恨んだり悔やんだりひがんだり、誰かや環境や運命のせいにすることもできるし、そうやって自分を慰めることで傷に塩をすり込み続けることもできるのだけど、
いちど思い切って、凡庸で現実的でちょっと無責任にも思える、「それはそれで良かった」という前提を置いてみることもできる。
「それはそれで良かった(ことになるに違いない)」というところからスタートし直してみると、少し陽のあたる道へ歩き出せたり、時間がたったとき本当に「良かったんだ」と言えるような、思わぬ可能性や世界が広がってることがある。
神の指先ひとつで自分の世界をかき回されてるんじゃなく、自分が空を好んでこの色に染めたのだ、という景色に出会えることがある。
だから何があっても自分で決めていくこと、自分で決めることから逃げないこと、そうすると40代はとても自由で毎日が楽しい、そのために、「それはそれで良かった」という呪文をもっててもいいんじゃない、そんな話をしてました。
運命とか環境なんて、タイミングをちょっと大袈裟にしたようなものだから、呪ってる時間がもったいない。
アラフォー女性が多いさくら事務所なので、皆のこれからが眩しい希望とふくよかな愛に満ちてるといいな、と願っています。
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