豊田規秀(ノリさん)

フルーツタルト専門店[oHacorte(オハコルテ)]社長。 「食」をブランディングし…

豊田規秀(ノリさん)

フルーツタルト専門店[oHacorte(オハコルテ)]社長。 「食」をブランディングして「町」を作る。 沖縄県名護市で6700坪のみかん農園を、農業の美味しいが集まる場所「life roots market」という農業テーマパークにするべく1人で準備中。 仲間も募集中。

最近の記事

「マーマレードベーカリー。」

沖縄のタンカンは、鹿児島に次いで2位の生産量らしい。 2位と言っても奄美大島や屋久島が産地だからもうほとんど沖縄みたいなものかも。 いや、奄美のひとに悪いから、南西諸島で括っておこう。 温州みかんの話ばかりしてるけど実はタンカンも作ってる。3/1ぐらいはタンカン。 タンカンは沖縄に来るまで馴染みがなかったけど、オレンジとポンカンの子供なんだって。 温州みかんと違って作るのが簡単で、それでいて美味しいと思う。皮も厚いし。 その証拠に、1作目は誰かに盗まれて、2作目は

    • 「オリジナルタイル。」

      引っ越して初めての台風が3連休に来ると言うので「妻がコツコツと焼き溜めたタイルをキッチンに貼る。」という引きこもり計画を立てた。 製品のブレのない完成度よりも、手仕事を感じられるものが好き。 タイルカタログを何冊みても結局気に入ったものが見つからなかったし、インターネットで海外の手仕事品を見つけたけど随分と高かった。 だから引越しには間に合わないんだけど、と妻にタイル作りをお願いしてみた。 厚みも違うし、形も歪だから目地が真っ直ぐに揃わない。 だけどそんなところが気に入

      • しょっぱい話。

        先日49歳を迎え、農業も3年目になった。 50を目前にして農家をしている人生が待っているとは20代の頃には少しも想像していなかった。 まあタルト屋になっていることもちっとも想像してなかったんだけど。 なんとも農業は難しい。 始める前はもっと簡単に作物ができるもんだと思っていた。だから「やっぱり無農薬で有機栽培がいいよなー」なんて思っていたけど、無農薬だなんてとんでも無いことだと知った。 農薬がなければカメムシに全部吸われておしまいだし、カメムシを徹底的にやっつけた後はハ

        • 草刈りはもうしたくない。

          僕の農園は6700坪ある。そこを一人で管理している。 管理していると言ったけど、今のところ半分しか耕作をしていない。 3年前、耕作放棄されていたみかん農園を引き継いだ。よくよく話を聞くと妻の遠い親戚らしく「沖縄あるあるですねー。」と、地主と二人で笑い合った。 地主は40年前に山を切り開き、みかん農園にした。当時のみかんは随分と儲かったようで、農地を広げることに躍起になっていたらしい。 仲間と数名で沖縄の市場なんかには目もくれず、JAのいじめにも負けず、コンテナをチャーターし

        「マーマレードベーカリー。」

          愛媛や和歌山のみかんと比べないで下さい。

          みかんの本場「愛媛」や「和歌山」のみかんはトップブランドです。 みかん栽培にとっての気候的条件が揃い、かつ、長年の蓄積データとそれに伴う高い技術力、さらには一大産地というプライドを賭けての設備投資。それらの行動と努力の結晶がその美味しさに繋がっています。 本場での露地栽培早生温州みかんの旬は11月ごろです。 温暖な気候の愛媛や和歌山の夏の暑さが甘さの元を作り、10度以下まで冷え込む秋の寒暖差が、十分な糖度とその鮮やかな山吹色の着色を促します。 非破壊検査により糖度12度以

          愛媛や和歌山のみかんと比べないで下さい。

          「カメムシの役割。」

          カメムシとの戦いに勝った気がする。 7月初旬に無数のカメムシを確認してから3回の防除をした。 真夏日の中、防護服を来てマスクとメガネで全身を覆い一回につき1250ℓの農薬を7時間かけて散布する作業は重労働だ。 そして、これを毎週行った。 散布した次の日には平然とみかんの汁を吸うカメムシを見つけてこころが萎える。しかしすぐにムクムクと不屈の精神でやる気を復活させ次の薬散の準備をする。農業はあきらめたら終わりなのだ。 そして3回の死闘の末、ついにカメムシに勝った気がする。

          「カメムシの役割。」

          「良いものづくりをしたければ。」

          そもそも、僕は「生活」を作りたいと思ってるし、自分にとっての良い生活をずっと追い求めているように思う。 富山の短大を卒業して21の時、次の生活の場所を探して沖縄に移り住んだ。 学生時代は工芸科で家具の勉強をしていたけど、授業にはあまり真面目に出なかった。それでも先生に言われた言葉が一つだけ、ずっと記憶に残ってる。 「良いものづくりをしたければ、良い場所に住みなさい。」 先生の言う「良い場所」とはどういう意味だったのか本当のところはわからない。でもいま、あの時の先生よりも

          「良いものづくりをしたければ。」

          「姉と一万円を拾う話。」

          小さい時うちは貧乏だった。 どのくらい貧乏だったかというと、団地に住み母親が週に一度買ってくるかっぱえびせんを兄弟三人で取り合いをし、一瞬でなくなるぐらいに貧乏だった。(親の面子のために付け加えておくと、その後は何不自由なく暮らさせてもらった。) 確か、僕が小学校1年生のある日、5つ上の姉が唐突に「お金探しに行こう」と誘ってきた。僕はそんな楽しそうな遊びがあるのかと、姉の真似をして道端の雑草の間を探し始めた。すると、すぐに姉が「見つけたよ!」と田舎道の反対側から叫ぶ。手に

          「姉と一万円を拾う話。」

          実のなる木のある暮らしのすすめ

          「頭の上を飛ぶ鳥の種類が増えるほど人の幸福度は上がるらしい。」 そんな話を聞いた。 確かに街なかでありふれた鳥じゃなく、見たことのない鳥を見かけると少しテンションが上がる。田舎に行けば山や畑の風景を見ながら動く物を見つけると瞬時に目で追いかけ、それが何かを確認したくなる。 高い木の上に止まる猛禽類や水辺に止まるカワセミや、キロロロとなくアカショウビンの鳴き声や、コンコンコンと木に穴をあけるコゲラの気配など、それらに気づいたときになんだか幸せな気持ちになる。 ただ、その話を友人

          実のなる木のある暮らしのすすめ