【書評】城山三郎著「落日燃ゆ」

戦前から戦後にかけての歴史を丁寧に説明し、その中で、A級戦犯としては唯一文民(非軍人)であった広田弘毅という人物について書かれた本である。


・広田弘毅の人間性

福岡の石屋の息子であったが広田が、大変勉強ができるということから周りが学費を捻出したという。また、広田自身、日露戦争後に領土の割譲されるのを見てから、外交の力が大事であることを痛感し、外交官を志す。
 非常に真面目で物静かであり、かつ、外交官を志した動機も華やかな経歴を得ることに全く興味がなかったから、当時の外交官のトップだった幣原喜重郎にはウマが合わなかったようである。しかし、メインストリートから外れても、広田は日々研鑽を怠らず、丁寧に意を尽くして説明をすることから記者や外国の外交官からの受けもよく、人望は圧倒的だったという。また、同期の吉田茂が大久保利通に連なる家系の娘と結婚し、幣原は三菱財閥の娘を結婚するなど、外交官としての箔付けをしていたのに、広田は大学時代に共同生活をしていたときに、家事の手伝いをしていた静子と結婚する。静子はパーティーなどの華やかな場所が苦手だったため、広田はそうした場所に静子を連れていくことはなかった。(もっとも、妻の家系がのちの東京裁判で命取りとなる。)
 おそらく平時に生まれていれば、非常に優秀な人として歴史に名を遺すか残さないかという人だったが、時代がそれを許さなかった。
 戦後、東京裁判が始まってから、連合国側が誰に戦争責任をとらせるかということになり、近衛が自殺し、木戸幸一は皇族側の人間として、自分の身の潔白を守ることで天皇を守ろうと考えたのに対し、広田は自分が責任を負って死刑になれば天皇に責任が及ばなくなると考えて、広田自身は一貫して協調外交に奔走したにも関わらず、検察官の答弁では自己弁護を一切せず、むしろ積極的に死刑を受け入れようとしていた節がみえる。また、妻静子の父が開いていた政治塾は一種のテロ集団のような活動をしていたため、広田にも嫌疑がかかる。
 広田の妻静子が、その事情が夫の裁判で不利になることを察して、広田が妻を残して死ぬことに悔いを残さぬよう、裁判が終わり判決がでるまでの間、服毒自殺を遂げる。広田はそれを知りながら、妻の死後も家族あての手紙には必ず「シヅコドノ」と宛名を書き、静子を死んだものとして扱わない。
 また、世俗的な欲求もなく、尊敬する先輩外交官山座は早くにこの世を去り、母親も広田に会えないなら生きている意味がないとして餓死を選択。周りの人間が次々と死んでいく中で、さほど生きることに執着していなかかったことも死を受け入れた要因だったのだろうか。
 最終的には、自分の協調外交を幾度となく妨害し続けた軍隊のトップとともに処刑台の露と消えていった。

 なお、本書ではなく城山三郎著「少しだけ無理をして生きる」という自伝エッセイによると、広田弘毅の本を書きたいと思い、遺族に取材を申し込んでも、徹底して取材を拒否されていたらしい。この本を読んでいてもわかる通り、非常に一本気の通った、気骨ある家柄なのだろう。ゴルフ仲間である大岡昇平氏にそのことを話した際、大岡と広田の長男が学友だったことからようやく取材ができたのだという。逆に言うと、このことがなければ、広田弘毅という人間の一面は知られることなく、軍部大臣現役武官制を復活させた首相としてのみ歴史に刻まれたのかもしれない。。

・関東軍の事情

広田が協調外交でなんとか戦争を回避しようと努力するのだが、その都度その方針を邪魔してきたのが関東軍である。とはいえ、関東軍の行動の理由についても丁寧に描かれている。日清、日露戦争で国力は多いに疲弊し、景気悪化も重なっていたため、窮乏化が著しかった。とりわけ、東北の農家では、娘を売りにだすのはもちろん、息子が戦場へいくときには、「死んで帰ってこい」といって送り出したという。生きていたら、その分食料を分け与えないといけないし、死んでくれれば恩金が支給されるからだという。そんな貧困に農村をはじめとする日本中が苦しむ中、石原莞爾は中国を日本が征服することによって、最終的に日本とアメリカで世界の覇権を決める争いをするという説を提唱し、日本の希望となっていた。そのため、関東軍は軍のトップのいうことすら無視して暴走し、軍上層部も政治家も外交官も止められない。特定の指揮者がいたわけでもなかったため、日本には指揮系統がない「二本軍」と呼ばれていたと言う。

・本書の魅力

本書を読むと関東軍を広田の方針を邪魔する役回りだが、当時の世論は関東軍の行動を熱狂的に支持していたし、同時代に生きていた場合、自分のそちら側にいた可能性はおおいにある。そういう難しい状況だったことがきちんと書かれている。人間の本性は善でも悪でもなく弱であると誰かが言っていたが、人は状況次第で利他主義的行動もすれば、利己主義的行動もとる。自分たちが同じ歴史に居合わせたとき、同じ選択をしなかったという保証はない。城山氏の文章は、そういう複雑な糸が絡まったものを丁寧に説明してくれていて、誰が悪いという単純な勧善懲悪にしていないし、そうした難しい状況で、自分の生き方を貫いた広田弘毅という人間の希少さを伝えている。
 

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