【書評】上村紀夫著「辞める人・ぶら下がる人・潰れる人 さてどうする?」

経営コンサルタント・産業医として活動している著者による人事戦略の本。

●何故人事政策は効果がないのか
 会社が、社員にとって良い会社になろうとフレックスタイム制を導入したり、1on1ミーティングを導入しても、「何故上司と仕事外のことまで話さないといけないのか・・・」と社員はそれによって却ってやる気をなくしてしまう・・・・
 著者によれば、会社はついつい人事のときに新しく何かをする「プラスの政策」を行うが、これでは上手くいかない。重要なのは、社員個人個人が抱いている「マイナス要因」に正面から向き合い、そこにアプローチしていくことだという。

そして「マイナス要因」を考えるうえでの重要な視点として、「働き甲斐」と「働きやすさ」は異なる点が挙げられる。「働き甲斐」はやったことで社会への影響度合いや仕事の難易度などによって得られるものである。他方、「働きやすさ」は職場の人間関係や福利厚生の充実さによって左右される。どちらを求めるかは、社員一人ひとり(もっと言えば、その社員でもタイミングによってニーズが異なる)によって異なるが、重要なのは「働き甲斐がない」という不満を抱いている社員に対し、働きやすくなる制度をとりいれても意味がなく、「なんで会社はズレたことばかりするのか」という不満を持つ。そして、働き甲斐は、仕事の振り方などをケースバイケースで難しいのに対し、働きやすさは表面上の制度導入によって達成できるため、会社は問題の本質から目を背けて働きやすくする制度を導入していることが多いという。
 そのギャップに社員が不満を抱き、退職するならまだよいが、本書では「ぶら下がり社員」の存在を指摘している。ぶら下がり社員とは、働きやすさばかりを追求した結果、その会社に不満はあるけど、働きやすいからと惰性で居座っている社員のことを指す。

●マーケティング戦略
社員の不満は様々だから、全員のマイナス要因を除去するのは不可能である。そこで、重要なのは、「どんな社員にこの会社にいて働き甲斐と働きやすさをもってもらうか」を会社が方針決定し、それに沿って人事政策を考えることだという。その際参考になるのは、マーケティングの基本STP戦略である。
マーケティングとは、ざっくりいうと、商品・サービスを誰に売りたいか顧客層を選り分け(セグメンテーションのS)、その対象に売れるような狙いを定め(ターゲティングのT)、同業他社に対してどのように売るか(ポジショニングのP)等の売れる仕組みづくりをいう。
 人事戦略もどういった社員層に魅力のある会社にしたいかをまず決めて、そうした社員が辞めたくないと思わせるような政策を採用するべきであり、商品・サービスのマーケティングと同じ方法を採用すべきである。これが本書の最も主張したい点である。
 では、セグメンテーションとは具体的にどうするのか。著者はその会社次第とはいうものの、一つのサンプルとして、「優秀人材」「ハイポテンシャル」「立ち上がり」「普通」「ぶら下がり」に分ける。そして、優秀人材はすでに会社で大きな役割を果たしているものの、優秀であるがゆえに収入やより大きなやりがいを求めて転職してしまうかもしれず、人事政策の効果は限定的である。さらに、すでに活躍している社員さらに優遇して定着すれば、その下にいる層は「あの人がいる限り自分は上に行けない」と思ってしまう。そこで、ハイポテンシャル・立ち上がり人材。こちらは成長機会や強身を活かしたいと希望が比較的画一的である。また、立ち上がりは入社間もないためまだ戦略としては乏しいが、将来ハイポテンシャル人材になる可能性がある。
ハイポテンシャル社員に対し、離脱が多いようであればメンタルヘルス対策、消極的退職が多いのであれば働きやすさ重視の政策導入、積極的離職が多いのであればやりがい機会の創出を実施する。

●本書から学べる点
 人事部の末端社員の自分としては、「なんでもかんでも働きやすくすればよいというわけではない」と言う点が重要と感じた。下手に働きやすさだけ追求してもぶら下がり社員が生まれる危険がある。制度を実施する際には、一般的に社員のために良いとされる制度を導入する弊害について思いを致す必要がある。
 今年安部内閣が実施した「特別定額給付金」を実施した際、自分の周りでは、いきなり10万円貰ってどうしたらよいか分からず、とりあえず貯金したという人が何人かいて、それほどありがたみを実感できないという例もあったようである。特段欲してもいないのに、利益になるような制度を与えても、それほど感謝されるわけでもなく、思わぬ方向に影響することがある。

 また、「働き甲斐」は仕事の裁量や難易度が大きくかかわってくるが、下っ端の人間にはそれを自由に設定することは難しい。著者は産業医という立場であり、本書でも働き甲斐を高める方法に関する記述は驚くほど薄く、それだけ企業や部署ごとによってケース・バイ・ケースなのだろう。
 また、人事から他部署に働きかけるのではなく、自分自身の不満がどこにあるのかを分析するうえでも重要な視点を与えてくれる。働き甲斐がなくて不満があるのであれば、働き甲斐が転職する際の軸にもなるだろうし、あるいは日々の仕事の中で働き甲斐を増すには個人レベルで何が出来るかを考えることもつながる。そういった意味では、本書は会社の上層部や人事担当者のみならず、新卒の方々にとっても得るものが多い一冊である。




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