大学は今までのままか?
【戦後日本の公教育の目的は「産業戦士育成」】
戦後の日本の教育は「工場の労働者を作るための教育」なんだよね。そして大学に行くのはその管理者を作るための教育。産業と密接に関わりがある。その視点で見ると「無償化なんてとんでもない」だろう。
【工場労働はロボットがやり紙の仕事はAIがやる時代が来る】
しかし、時代は変わる。「工場労働」はロボットになり、自動運転が当たり前になる未来がすぐそこにある。ホワイトカラーの仕事はAIに置き換わり、人が生きる意味が変わる時代がもう目の前にある。人間とその社会が生きるために作ってきた「人間社会」は、これからなんのためにあるのか、を考え直さなければならない時代に変わってきたんだな。であれば「産業戦士の価値」は落ちる。
【「自動車学校型」と「劇場型」】
教育には、食っていくための技術を身につける「自動車学校型」と、人生に豊かさをもたらす「劇場型」の二種類がある、と、かつて遠山啓先生に伺ったのだが、いまIT技術の発達で、ロボットと人工知能のある社会が、見え始めて来たんだな。そうなると重要なのは前者の「自動車学校型」の教育ではなく後者の「劇場型」になる。「自動車学校型」は更に高度になり、人工知能プログラミングを人工知能がうまく行えるようにはどういうことをしたらよいか?などを考えて実行する仕事になる。しかも、多くの人数は必要ない。
【「劇場型」の大学に変われ】
多くの人に必要なのは後者の「劇場型」教育で、この人生をいかに満足あるもののにするか、ということに重点が置かれる。大学というところの存在意義が変わる。これから、そんな社会が来る、と、予想される。
【「劇場型」から出る人材が新社会を作る】
とは言うものの、劇場型の学校の人間は「役に立たないことをする」ということを考えると良いのではないか?と思う。人間というものはもともと浅はかなもので、役に立つことそのものがわからない場合もあるから「なにかおもしろそうなものをやる」のが大学の役目で良いのではないだろうか?それが人間の活躍できるフィールドを拡大し、新しいものを人間社会に持ち込む。インターネットはぼくらが30年前に始めたとき「ただの技術者の遊び」以上のものではなかったのだ。そういうことをする場としての大学こそが必要なのだろう、と、私は思う。
大学教育も変わる必要があるのだ、と私は思う。
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