見出し画像

「Web3」で「遠い目」だったりする件。

【Web3ってなぁに?】
最近、Web3というキーワードが流行している。マスコミのニュースでも時々取り上げられる。同時にWeb3の本質は「DAO(Decentralized Autonomous Organization - 分散型自立組織)であるという。要するに、Web3って、と考えたところで、私の年齡には「既視感」が漂う。だって、インターネットそのものがそういう本質でできたものだからねぇ、という感慨しか思い浮かばない。それが現代の社会の中に溶け込み、様々な形になって今、ここに、こんな形をしてある。それが現代のインターネットの形(Web3的に言えば、Web2までの世界)なんだな。目指したところって同じ本質だよなぁ。

【Web2になるまでの経緯】
現代のインターネットのこの「かたち」は、誰が考えたかというと、米国のカウンターカルチャーであることはどうやら明らかだ。1960年代から1980年代にかけて全盛を誇った「リベラル的思想を持った人たち」が発祥だ。1960年代というと、私など小さな何もわからない子どもにしか過ぎないが、1980年代に 私が20歳代になると、いろいろなことがわかってきて、なーるほどなぁ、と言うことも多かった。そして、30歳代には、おそらくDAOの「ルーツ」であると言って差し支えない、米国西海岸に足繁く通った。日本の経済もバブル崩壊を始めたところで、それでもまだお金はみんなにあったから、今で言えば東京から大阪に旅行に行くような感覚で米国にはしょっちゅう行った。私がその経験で感じたことはここに書いておいた

【この道はいつか来た。。。あれ?違う?。。。やっぱ同じか。】
とは言うものの、現代の世界には1970年代当時のような「新左翼」も「カウンターカルチャー」もない。「リベラル」の勢いもない。米合衆国はキリスト教ファンダメンタリストが結構幅をきかせており、保守層は厚い。これは日本も似たようなものだが、「みんなで所有して、みんなでハッピーに」ってのはまさに「社会主義・共産主義」に非常に近いわけで、同じかも知れなくて、そういうことでは人間の歴史で100年以上は続いた話の延長なのかもしれないなぁ、Web3ってのは、とか思うわけですね。ただ、Web3では「みんなに分配するもの」は、「冨(有り体に言えばお金)」ということで、はっきりしているが、構造としては同じだし、どこが新しいのかなぁ?と思わざるをえない。

【仕事って楽しいよね?】
世の中には、「やっていて楽しい。やったらお金がもらえた」という仕事と「やりたくないけど、やったらお金がもらえるからやる仕事」ってのがあるし、僕も両方やったことがもちろんある。現代の社会に生きている以上、この2つの「仕事のありかた」のどちらもみんな経験しているはずだ。でも、「みんなで稼いでみんなで分配」のDAOってのは、この2つのうち、後者のほうに重点が置かれている感じがするんだな。だって「報酬」をシェアしましょう、ってのはやはり報酬に重点が置かれている、っていうことだからね。一方、人間という動物本来の「しごと」ってのはなんだったんだろう?って話もあって、私の先生の一人でもある故・遠山啓先生は「たとえば、草原を獲物を狙って走るライオンとかトラとか、そういう動物がなぜ走るのかというと、走る事自身に喜びもあるからじゃないですかね?決して辛いけど、走って今日の餌を得なければ、と思って走ってるわけじゃないと思うんだな」って話を聞いて、結構納得したことがある。人間の行為というものも、それが全てではないにしろ、そういう面もあるよなぁ、と思うわけです。獲物を得るのに百発百中ってこともなく、結構多くは失敗するしね。

【Web3の世界は来ないかも、という、けっこう切実な理由】
例えば、いま、全世界にある食料を全て現在生きている人類全部に平等に分配すると、全員が「飢える」って言われている。そんな世界で、分配するものをシェアしてたまるか!俺のもんだ!みたいな人が出てくるのは、ある意味必然だろうなぁ、と思うわけです。思うに、社会主義・共産主義の話から、現在のWeb3に至るまでの「冨の分配(シェア)」の話は、生み出される冨が豊富であった場合に限られる夢物語、ということであって、そうではない場合は、やはり奪い合いになる。つまり「前提が間違ってるんじゃないか?」と思うわけです。インターネット上で起こされる事業だって、上手く行くことしか考えていない。ダメになることだってあるとすると、マイナスだって、みんなでシェアしなければならないが、それでいい、って言う人はどのくらいいるのか?

「いやー、Web3/DAOでみんなで出資してみんなで仕事したんだけど、半年でダメになっちゃってさ、負債がン億円なんだよね。みんなでこの負債分けるから、よろしくね」

とは、誰も納得しないだろう。そういう場合を考えていないとしたら、なんというノーテンキではた迷惑な話だろうか?と、オジサンは思うわけです。

【インターネットのWeb3的仕組みはこうなった】
テスラの創業者、イーロン・マスク氏も、こういったWeb3にかなり否定的なことで有名だが、さんざんこういった業界で苦労している人にとっては、やはり同じだよなぁ、と思うわけです。しかしながら、理想はいいことなんじゃないか?とも思うので、ただ否定するのではなく、生暖かい目で今後のWeb3を見守っていければ、と思うばかりなのだが。

で、インターネットの仕組みとしても、例えばhttp(s)/www(Web)とかftp(ファイル転送)とかって、本来は、全てのPCにそのサーバーとクライアントの両方のソフトウエアを持って、お互いがコミュニケーションを取りつつ、お互いのデータ資源をやりとりしよう、っていう仕組みであって、誰かがサーバーとかリポジトリを独占する、ということではなかった。ただコンピュータの管理を一日中やる仕事の人は限られるわけで、全員が同じシステムの構築の能力を持っているわけではない。差がある。その技術を持っているのは特定のサークル内部の人たちだけであって、そこから一歩外に出れば、全く人種も考え方も姿かたちも違う人たちがいっぱいいるんだね。そういう人たちに「これを勉強しろ」とは強要はできない。結局、サーバーを管理する技術を持っている人がそれをして、利用できる人が利用する。つまり、今の形になったわけでね。

【思想でも哲学でも技術でもない。マーケティングキーワード「Web3」】
「結局Web3って技術ではなくてマーケティングのためのキーワードだよね」という人も増えてきた。そこに明るい未来があると考えるのは、おそらく「世界の冨は永遠に増え続ける」という、一時代前の幻想を前提にしているのじゃないか?と私などは思ってしまう。そこに私の「既視感」があるのだが。

結局、IT関係の用語を出すと、みんながこっちを向いてくれた、という時代ではない。今やITは「この時代の当たりまえ」であって、IT系で何が起きても、誰がなにをしても、あまりたいしたことはなく、多くの人は「そういうこともできるよね」となってしまう。結果として「技術革新」にはお金が回らない時代になった。「IT以降の技術革新はあまりない」「ITは当たり前のもの」という時代になったのだ。そこで従来の「キーワード・マーケティング」の方法で、なんとか多くの人の目を、既に当たり前の日常になった「IT」に向けさせ、投資を促進しよう、という動きが出てきているのではないか?。ある意味、ITは「ふつうの社会の一部」になったのだ。「ITが当たり前の日常である時代」の「実際に技術系でなにかを作ったことがある人ではない、文系の人がちょっと新しく見せて投資を呼び込むためのキーワード」が「Web3」なのではないか?と、私は思っている。ITというものを実際にこの手にしてインフラを育ててきた仕事をした自分は、そう思うしかない。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?