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「新しい産業」を作るとき。インターネットの最初の頃を語ろう。

【インターネットの最初の頃】
1980年代から、インターネットを日本に持ってくる仕事をいろいろやった。ITという言葉はその頃から使われはじめてはいたが、一般的ではなかった。一般から見れば「なんだそれ?」状態だったから、当然だが今のような「広い世間への認知」は全くない時代だった。「インターネットっていうものがあるんですよ」と、説明しても、そういうぼくの話を聞いている人の多くは眠くなっていたし、多くの人にはどうでも良かった、という程度にしか認識されていなかった。「それ、電話でいいんじゃね?」とかね。「一日コンピュータの前に座ってなにしてるんだかわからないやつ。そういう態度だと女性にモテないよ」と言われていた。いや、モテないのはもともとの自分にも原因があるかもしれないので(間違い無くそうだと思うけど)、そういう「外野の戯言」は自分には関係ない、と思って聞き流した。だって、「これ」をやっているほうがなによりも面白かったしね。

【誰かに褒められるでもなくビジネスになるでもなく】
インターネットの最初の頃は誰かに褒められるからやるのではなく、すごいお金になるからやったのでもなく「これがあると世の中変わるよね」という自分なりのワクワクに「萌えた」のであって、それを他人が理解できる、ってのは、元から考えていなかった。ぼくらのやっていることはほとんどの人が「わからない」のだから、多くの人が評価なんてしてくれるはずも無かった。やっているうちに、自分と同じことに気がつく人がだんだん増えてきて、今日に至ったのだ。「時代のリーダー」?「成功」?「ビジネス」?そんなことはどうでも良かった。このワクワクが楽しかったし、自分の行動の根本にあっただけだ。「これはビジネスになる」と言う人が出てきたのは、僕らが始めたもっと後だった。後になって、そういう人が寄ってきた。

【新しい産業の種】
「新しいものをとにかく作ろう」「新しい産業を作ろう」「尖ったものがいい」「出る杭は叩かないで育てろ」と最近はよく聞くことが多くなった。しかし、それは本当にできる人はまずいない。全くいないと思ったほうがいい。いや、普通は「見えない」はずだ。自分にはそれができる、と思っても、無意識に「わからないもの」は拒否しているはずだ。人間って、もともとそういうものだからね。だから、無視されても腹は立たなかったし、悔しい思いで「いつか見返してやる」とも思うことも全く無かった。そのとき、ぼくらは「これは面白い」をやっていただけだ。

【新しい産業は育てない。「寛容でいる」だけでいい】
結局「なんだこいつ、訳のわからない無駄なことにカネ使いやがって」と思われるのが「新しいこと」をする人間に向けられた目だ。それを痛いほど知った。でも、自分にはどうでも良かった。そういう人を説得しても無駄だしね。やって見せて、驚かせるしかない。それを重ねて行き、仲間を増やすしかない。新しいものを作っていく、というのは、それを作る側からすればそういうことだ。実際「成功率」は高くない。でもやらなければ先はないし世の中は変わらない。「競馬は嫌いだし、まず成功するとも思わないけど馬券を買うカネはあげるよ」。それが新しいものを育てる人のやることだ。「当たる馬券だから買う」というのは詐欺に引っかかった、と言うのだ。

【新しいものを育てて行く、ということは】
新しいものを育てて行く、というのは、要するにそういうことだ。育てる側に、このくらいなら損してもいいか、と思える余裕がなければできないし、投資したものの多くは失敗する。その中で、千にいくつかあるかないかのものが育って行くかもしれない。投資したお金は全部返ってこないかもしれない。でも、面白そうだからお金を出してみる、ということでなければ、新しいものは手にできない。そういう余裕が必要なのだ。ハッタリやウソ抜きでいえば、そういうことだ。人類って言う「種」って、そういうものなんだな。そういう余裕がなくなったらおそらく人類の発展は停滞し、やがてなくなっていくんだろうな。

【新しいものとは】
結局、新しいものとは、海のものとも山のものともつかないものでしかない。そこになにかを見出すのは人の思い込みであり直感であり意思だ。そこに費やす人のエネルギーが集まって、やっと「新しいもの」ができ、名前が付けられ、社会に認知される。それを「Art」と言う。インターネットの最初のころ、ぼくらは「Artist」だったし、今もそのつもりで、新しいものを考え、作り続けているつもりだ。

【運が良かった?】
個人的に言えば、自分で今考えても、時代的なものも含めて「運が良かった」ってことなんでしょうが、そうは言っても、食っていかなければならないのは人間だから同じで、好きなことをやることで培ってきた知見や技術を切り売りして、一人の個人としては生きてきた、ってことなんだろうな、とは思うよ。実際、それは「売れた=価値があった」ってことだけど。

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