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2021年の振り返り「人生を懸けて駆け抜けた日々と、これから」

みなさん、本年は大変お世話になりました。
この1年は、僕にとって、いろいろな意味で一生忘れられない1年になりました。
まず、振り返りの前に、ご報告があります。
実は、5月に祖父を亡くしています。
僕にとっては最後の祖父母でしたが、ここ数年は年に数回しか会うことが出来ておらず、コロナで別れに立ち会うことも叶わなかったため、つい先日まで実感が湧いていませんでした。
祖父の誕生日が1月2日であり、毎年恒例の「お正月の誕生日会」が無く、代わりに「お墓参り」の予定が入ったことで、今になって急に実感が湧いてきました。
2013年に祖母を亡くして以来、8年ぶりの「喪中」であったことや、上記の「実感の無さ」から、喪中の連絡をすっかり忘れておりました。
年賀状をいただく方には、寒中見舞いをお返事することになりますが、ご容赦ください。
また、9月にはコロナで親戚をひとり亡くしています。
5月の祖父のお葬式では元気にしていた方でした。
人との別れや、自分の生き方について、ずいぶんと考えされられた年となりました。

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※この写真は、祖父との最後の写真です。

さて、新年を迎えることを祝福できない分、この1年をじっくりと振り返ってみたいと思います。
東京オリンピック・パラリンピックに向けて大学生活の全てを捧げてきた僕にとっては、この1年をじっくり振り返ることは、大変意義のあることだと思います。
そして今年に関しては特に、1年を振り返るためには、これまでの人生を振り返らざるを得ません。
もしかすると、祖父が最期にくれた、大切な時間なのかもしれないと思いつつ。
ゆっくりと、穏やかに、振り返っていきたいと思います。

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オリンピック・パラリンピックに、ワクワクしてしまった。
無限に広がる期待を抱き進学した大学に、期待した環境が存在しないと感じた時、僕は自分の人生を変えてくれる可能性を、オリンピック・パラリンピックにすがった。


今だから言える。
スポーツなんて、別に好きでも無かった。
どちらかというと、トラウマの方が大きい。
中学でも高校でも、部活で優秀な成績を収めた人の方が人間性が優れてるなんて、全く思えなかった。


スポーツの教育的価値なんて、全く信じられなかった。
それでも、世界中からモノ・ヒト・情報が集まり、社会が変わるその渦中に身を投じれば、自分の人生が変わると思った。
僕は、このようなひたすらに利己的な理由で、オリンピック・パラリンピックの世界に入っていった。


誰からも命じられたものでは無かった。
お金がもらえるわけでも、キャリアに繋がる確証も無かった。
ただそこにある「フロンティア」にワクワクしていた。
だからこそ、「なぜそれに関わるのか」「自分に何ができるのか」を、自分で創らなくてはならなかった。


スポーツの持つ力とは何か。
オリンピック・パラリンピックの意義とは何か。
中身の無い僕に、どうすれば人はついてきてくれるのか。
死ぬほど勉強し、手当たり次第に足を運び、人に泣かされ、歯を食いしばって立ち続けた。
苦しいことの方が遥かに多かった。


困難を乗り越える度に、自分の成長と、仲間の温かさを知った。
大切な仲間たちと一緒に、夢を叶える。
パンデミックにも屈しず、仲間と手を取り合って、あらゆる風をいなしながら、立ち続けた。


2021年は、このようにして迎えた年であった。
しかしながら、これだけの努力を重ねてもなお、スポーツの価値も、レガシーの方向性も、決まっていなかった。
オリンピック・パラリンピックが、終わってしまう。
その足音に怯えながら、今年を迎えたように思う。
この1年は、オリンピック・パラリンピックという自分の看板が失われる恐怖が、少しずつほどけていくような、そんな1年だった。


Earth Light Project は、結局、ずっと目指してきたオリンピック聖火になれなかった。
それどころか、炎の点灯に失敗し、当日放送したYouTubeライブでもアクシデントが絶えなかった。
昨年までの僕だったら、ひどく落ち込んでいたことだろう。
もちろん、落ち込みはしたし、悔しかったけれど、オリンピックを失ってもなお、僕たちはリベンジを決意した。
この背景には、僕にとって重大な成長があった。
そしてその成長は、大切な仲間たちのおかげであった。

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NPO法人ETIC.MAKERS UNIVERSITY では、尊敬しあえる仲間たちに出会えた。
一緒に同じ世界を目指す仲間の存在も大切だけど、それぞれの道を走る仲間と、心のどこかで通じ合っているのも素敵だと思えた。
ずっと違和感を持っていた、パラスポーツの価値。それを教えてくれる大切なパートナーも見つかり、ずいぶんと久しぶりに、他の同世代の団体に、メンバーとして参画することになった。
オリンピック・パラリンピックに向けて走り続けた意味を、このKnocküでの取り組みを通して深めていきたい。

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有限会社トウチク。僕を幼少期から縛り続けた、牛乳配達のお仕事。
逃げ続けてきたこの会社の代表取締役に就任した。
この会社で働く意味を、本当の意味で掴み始めることができたのは、とあるテレビ番組で密着取材をしていただいたおかげだと思う。
僕のFacebookでの発信をキャッチし、とてつもない熱量で一緒に番組を作ってくれたメディアの方々に、心から感謝をしたい。放送は2月ごろの予定だ。
家族と過ごす時間もずいぶんと増えた。
来年は、自分を縛り続けてきた運命と向き合い、自由で穏やかな日常を、家族と共に手にしたい。

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全国学生ボランティアフォーラム。
僕の人生を変えてくれたイベント。僕にとって本当に大切な出会いと、自分のことに必死になっていた僕に「人の心」を教えてくれたイベント。
文科省の予算が切れたからとかいう理由で終わらせてはいけない。
そう思い、学生だけで勢いのままに立ち上げ早4年。
僕が前身の学生ボランティアフォーラムに出会ったのが「第4回」であったから、気づけば僕にとって全ての始まりであった、前身のフォーラムと同じ回数にまできてしまった。
全国のボランティアに、ボランティアとしての繋がりと学びの機会を届け続けたい。
このフォーラムは、本当に心強い後輩たちの手によって、ほとんど自走してくれている。
今年も、とてもとても、楽しみだ。

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NPO法人 おりがみ。
僕の人生において最も重要な団体であり、死んでも守り抜きたい仲間たちがたくさんいる。
大学院博士後期課程でのボランティアの研究も、若新 雄純さんの下で、学びながらお仕事しているのも、上記の全ての事例も、僕の人生のあらゆる取り組みが、この団体の取り組みに結びついている。
権力やお金に囚われない。自分のやりたいことや、人との繋がりの温かさや、社会との向き合い方を豊かにしていくためには、今の時代にこそ、ボランティアが必要であるということは、経験や対話、勉強を重ねるごとに確信に変わっています。
自分の意志でやることを決め、仲間を集め、活動を広げていく。
この、面倒臭くてどこか温かい営みを、すべての人に届けていく。
一生探究していきたいと思えるテーマと、共に追う仲間に出会えたことに、心から感謝したい。

プレゼンテーション1


僕にとって、東京オリンピック・パラリンピックは、生まれて初めて、自分の全てを懸けてでも取り組みたいものになっていました。
でもそれは、「大会終了まで」という期限付きのものでした。
大学生活の後半は、そのことへの焦りと不安に追われ続けていたように思います。
そんな僕がオリンピック・パラリンピックの終わりの年に、こうして「これからやりたいこと」を穏やかに綴ることができているのも、これまで出会ってきたみなさんのおかげであり、一緒に走り続けてくれた仲間たちのおかげです。
家族も、仲間も、自分の幸せも。
何一つ取りこぼさず、自分の感情と意志にしたがって、これからも精一杯頑張っていきたいです。
改めまして、本年はありがとうございました。
まだまだ未熟な僕ですが、これからも、もっともっと、学んでいきたいです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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