コーチングを学んで気がついた -評価-
評価をしないことについて改めて考えてみる。
コーチングでは様々なコミュニケーションスキルが使われるが、一貫していることの一つに「評価しない」ことがある。これは何故なのか?
ありのままを見つめ、事実に対してだけ反応する。
コーチングがアドバイスしたり教えたりすることを排除しているからそうなるのだと思うが具体的にはどういうことか。
評価するとは、勝手に相手の物語を作っているような感じがする。
これから一緒に目的に向けた物語を明確にしていこうと言う時に、あなたの物語はこれですね!もしくは、これまでのあなたの物語はこんな感じだったね!と訳知り顔で語るような感じもしている。
私の物語を勝手に描かないでくれと思うだろう。反発したくなる。
コーチングは協働関係だと表現する。コーチとクライアントが協働で作業を行う関係。クライアントと横並びで、同じものを見て一緒に進むイメージ。
横にいて一緒に進むのだから対等な関係になる。コーチはちょっと先を照らす明かりを持っているくらいか。
そこは対等であるが故に、どちらが上とか下とか無い世界が広がっている。
上も下も無いのであれば、相手を評価する事も無いだろう。コーチングでは評価しないが先に来るのではなく、相手と対応に対話を進めるためには、評価する事は排除すると考える方が自然の流れの様だ。
そして評価をしないことで、微妙な軋轢や、不要な諍い、過度な依存を回避できることを体験できる。ポジティブで対等な関係構築には欠かせないことなのだと知ることができる。
企業内で上司がコーチとして振る舞う時に、この「評価しない」を十分に意識しないとコーチングが機能しないのだと思っている。スキル云々の前に、コーチとしての在り方の問題であることが多いのではないだろうか。
上司は部下に指示を出し、成長を促し、評価をすることが求められる。この中で成長を促す点にのみコーチとして接して、それ以外はリーダーとしてマネージャーとして接する切り替えを上手くやれる必要があると思う。
実際に私が管理職をしている時に感じたのはこの点。いつもコーチでいたいがリーダーでもいたいしマネージャーでもいたいと思っていた。だがそれではすべてが中途半端になる。
正しく使い分けると考えると上司でもコーチとして振る舞えるのではないだろうか。
さらに、常にコーチであるために。
コーチングのセッションではコーチとクライアントはお互いに真実を語りあえる間柄であることが必要だと考えている。
真実を語る事は、評価する事とは異なる。コーチは真実を語る勇気が求められている。上司として真実を語る強さを持つことができれば、常にコーチであると言えるでしょう。
それを難しいと感じるなら、コーチ役を別の人に担って貰えばいい。なんでも一人でやるのは大変なのだから。
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