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フランスのペットショップ禁止のニュースで日本のペット殺処分問題を考えた件

フランスで、2024年から犬や猫の店舗販売が禁止されるのだそう。

ペットを飼いたい人は、ブリーダーから直接買うか、保護施設から引き取るかどちらかになるのだとか。

日本でも同じような仕組みが導入される日がくるのでしょうか?
背景にある犬猫の殺処分問題の日本の現状と、
「ゼロ」を目指すことの弊害について考えてみました。

日本の犬猫殺処分の現状

今現在、日本で殺処分されてしまう犬猫は年間3万2千匹。

この殺処分されてしまう犬猫のうち、犬では9割、猫では8割が「所有者不明」です。(『環境省 統計資料『犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況』)

「所有者不明」の犬・猫たちはどこからきているのか?
この問題について、リディラバジャーナルさんが様々な人に取材をして記事にまとめてくださっています。

「所有者不明」の犬猫たちは、数値としては出ていませんが、大きく分けて
●飼い主に捨てられて野良猫・犬になり保健所や動物愛護センターに持ち込まれる
●動物取扱業者(ブリーダー、ペットショップなど)による遺棄
の2通りあるのだそう。

法律の規制やボランティア団体の保護活動の活発化により、殺処分数は年々減少。しかし、また同時に「殺処分ゼロ」のスローガンの背景で、受け皿となっているど動物保護団体が疲弊。動物たちを抱え切れず、劣悪な環境で飼育せざるを得ない事態も発生している、と記事で指摘されています。

記事を読んで感じたのは、「ゼロ」と言い切ることの快感さと、その裏にある複雑な現実でした。

ゼロを疑え

この「~ゼロ」という言い回し。殺処分だけに限らず、色々なところで耳にします。「待機児童ゼロ」「カロリーゼロ」「カーボンフリー」・・などなど。

私たちは都合の悪いものが「ゼロ」になる、視界から見えなくなると安心すします。「ああ、解決してよかったね」と。

でも、何かが「ゼロ」になる、ということは、
その分、どこかで負担が増えているのではないか、と想像力を働かせることが大切なのだと思いました。

待機児童ゼロ、なら、預けられている子どもたちが劣悪な環境に押し込まれてないか、保育士さんたちに無理を強いてないか、とか。

カロリーゼロ、なら、じゃあこの甘味を作っている成分は何なのか。それは体に負荷を与えないのか、とか。

火力発電を減らして原発を増やすことは、二酸化炭素排出量はゼロに近づくかもしれないけど、本当に持続可能なのか、とか。

ゼロを目指すことが悪い、と言いたいわけじゃないのです。
白黒はっきりつけることの方が、私たちの脳みそは快感を覚えるものだ、とちゃんと認識しておくこと、が大事なのだと思います。

分かりやすいスローガンや宣伝文句に出会ったら、
「『ゼロか100かの罠』にかかってない、私?」
と、自問自答してみよう。そんなことを、糖質ゼロのビールを飲みながら考えている、日曜の昼下がりです。


●自立に悩む若者達と共に捨て犬の保護譲渡活動を行うドッグプログラムを提供しているのは、NPO法人キドックス。DRIVEキャリアで求人中です。一連の問題を知った後で、記事内のこの言葉を読むと心に沁みます。

大切にしているのは、人と動物の福祉のバランスです。「人のために動物を利用しないこと」「動物のために人を利用しないこと」このバランスを保つことこそ、人と動物の福祉が充実した未来を築けると考えています。

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