離婚することにしました。5

離婚することにしました。
と言いつつも、既に離婚しているのでタイトル変えるべきなのかな?
と悩んではみたものの。

離婚するまでの過程を書いていくので、
どうして離婚するに至ったのかという意味ではタイトルは合っているかと。
では進めます。

はじめに

『共通の敵がいると、愛が生まれる。』
これは、私が元配偶者から聞いた一番好きな言葉。
あとはすっかり忘れてしまった。
共通の敵という概念?存在?があれば、愛が生まれ育むことが出来たのかな。
思い返したところで過去には戻れない。
今さら愛を取り戻したい?
まるでそんな気持ちはどこにもないし。

私は会社でも友達からも精神が強いねとよく言われていた。
私はそういった意識はまるでなく、そして強くなりたいとは思っていなかった。
とにかく可愛い女性になりたかった。
強くなる、強くいられる適性があっただけだ。
要所要所で強くいることを求められ、求められたことには応えたいと行動した結果、強くなっただけ。
強くなったことで、ますます強さを求められた。
8年に及ぶ家庭内別居の不穏な状態をかなり平気でいたのだから、これはこれで良かったと思っている。

私自身は自分が強いと全く思っていない。
とてつもなく弱い人間。
人の顔色を窺ってはくよくよし、週明けに大事な仕事が入っている時は、
週末からなんだか不安で寝付けなくなる。
やっと眠ったとしても怖い夢を見てしまう。
目の前にある今現在の事や少し先の未来を考えることは苦手だ。
俯瞰で物事を観察する目が養われていないので、
未来の不確定さを考えると、上手くいかなかったらどうしようと起きてもない事に震え、希望を見出すことが難しくなる。
そういう時はいつも、暗くて冷たい黒い波に飲み込まれてしまい、目が回る。
私は強さを求められることで、誰かに甘えたり人に頼ったりすることが苦手になっていった。
甘えたり人に何かを頼んだりすることが歳を取れば取るほどに出来なくなっった。
助けてと言えば、周りの人たちは優しく助けてくれるし寄り添ってくれると分かっているのに。
本音は、猛烈に誰かに依存したいのだ。
不安なときは、誰かに背中をさすってほしいし、
上手く行った時は褒めて欲しい。
強がって踏ん張って甘えることが出来ない私の何もかもを笑い飛ばしてくれて、
『大丈夫だよ!』
と根拠のない自信を持った笑顔を向けられたら、号泣しながらようやく安心して甘えられるようになるのかな。

元配偶者との家庭内別居は子供が生後半年の時から始まった。
元配偶者と口を聞かない間に、子供は小学生になった。
会社の同僚や友達が【夫】や【旦那】を使う時の、その会話のはしばしに含まれる愛情のようなものを、私は敏感に感じ取ってしまってつらくなってしまう。
だからといって私が今も、相手に対して愛情を多少なりとも持っているのか?
それは違う。
私が思い描いた温かい家庭を築けなかった自分の情けなさを刺激されるから。
人と較べて足りない部分、他の人が持っているものに対して羨ましいと感じる気持ちを刺激されるから。
妬み嫉み僻みですわ。

相手と一緒に住んでいた家には掃除機も洗濯かごも鍋もフライパンも、生活用品のほとんどが二個あった。
子供用の食器でさえ同じようなものが二個あった。
1個しかなかったものといえば冷蔵庫と洗濯機くらいだ。

家庭内別居で死ぬほど仲が悪いのに、一緒に暮らしている事を理由にして
それらを使うのは気が引け、自分のお金で徐々に買い足していった。
買い足していくほどに、私は家での行動の自由が増えた。


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