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発信にブレーキをかけてる理由を考える(というか、認める)

こちらの動画を見まして、ザワザワしたのでちゃんとアウトプットしようと思ってnoteに書くことにしました。

もうさ、【「発信」が怖いあなたへ】って書いてあるところからザワザワしたんだけど、私はたぶん常にうっすら「怖い」って思ってるんです。発信すること。

こうしてnoteも書いてるし、だいぶ自己開示している気もするし、ライトな発信はなんだかんだで5年?6年?ゆるゆると続けてるんだけど、今は「発信、楽しい!」って感覚を持つことができてなくて、いつもうっすら怖いなーって思いながら発信してます。

でも、楽しみながら発信したいって思っている自分もいます。

とりあえず、なんで怖いかってところを書いてみるところから始めようと思います。


傷ついた経験は、怖い

発信が怖い理由、それはたぶん「誰も見ていない」「炎上しない、炎上したらそれは届いていること」と思いながら発信してたら「いやめっちゃ見られてるじゃん!」「炎上はしてないけどメンタルにブスッと刺してくる人いるじゃん!」っていう経験をしたこと…かな。やっぱり。

「誰も見ていない」というのは、自意識過剰にならなくて良いってことで、発信すればそりゃ見られるんですけどね。
それはそうなんだけど、予想外の方向から、ポジティブじゃない興味を持って見られていたというのが、この件。

かなり近しかった人が、私の発信を見て、直接文句を言ってきたことがありました。何年前だろ、4年くらい前だろうか。

自分の発信が全然意図していない方向に受け取られて(これは「あぁ、そう捉えてしまう人もいるのか」という貴重な学びでもあったのだけど)、そこから言葉を尽くしてこちらの想いを説明しても理解してもらえなくて、相手が近しい人だっただけに、深く絶望してしまったことがあります。

その後、その相手は、同じ単語と文法を用いていながら違う言語を喋っているような人(つまりお互いに理解できない人)だとわかって、「伝わらない」ことの意味というか、理解不能レベルで伝わらないことがあるということを深く理解せざるを得なかったのだけど。

この経験は、ただ「自分の発信に対してあれこれ言われた」わけではなくて、「自分がかつて心から信頼していた人に、自分のことが全く理解されていなかったことを突きつけられ、そのうえ何を話しても理解してもらえなかった」というショックでした。

そういう経験につながってしまったから、「発信」が怖いのかもしれない。

敵意を向けてくる人は、怖い

先の「近しかった人」とは、今は疎遠なのだけど、その人からは明らかに敵意を向けられた時期もありました。

敵意って、怖いです。

危害を加えられるかもしれないと感じたこともあるし、無視されるとか睨まれるとか、そういう行為で傷ついたこともありました。

今は疎遠だし、年単位で過去の話なのだけど、近しかった人だけに、いまだにその恐怖心は消えないです。

これはもう仕方ないと思う。
感情に蓋をすると腐るので、怖いと感じるうちは怖い気持ちをそのままにしておくのが良いと思うから。

傷ついたことは忘れなくて良いし、相手を許さなくて良いし、傷ついた自分をなかったことにしなくても良い。

ただ、その感情や過去の自分に執着すると前に進めない。

だから全部ただの事象として心の引き出しにしまっておきたいのだけど、発信をしていると不意に当時の恐怖を思い出しちゃうんですよね。

これも「発信」が怖い理由だと思う。


でもn=1だよね

傷ついた経験も恐怖心も消えないし、そこからなかなか抜け出せない自分は本当に嫌なのだけど(でも無理はしなくて良いと思ってる、頑張ると辛くなるから)、発信が怖い理由になっているのは「たった1人の人」なわけです。

n=1。

その人以外から自分の発信についてあれこれ言われたことはないし、敵意を向けられたこともない。

たった1人の人にこれだけ翻弄されているんですよね。
馬鹿らしいといえば、馬鹿らしい。
けど、頭で理解したつもりになるだけで心が追いつかない。

「自分が危害を加えられるかもしれない」という恐怖心が、一番厄介だと思います。(ちなみにこの気持ちを相手が知ったら、「そんなことするわけがない」っていう怒りを買う気がする。でも怖いもんは怖い。)

自分が発信を続けるということは、n=1の人に見られる可能性を常に孕んでいるわけで、この恐怖心を乗り越えない限り、私は楽しみながら発信をすることはできないと思います。


ゼロからスタートすればいい?

匿名で、自分のことを隠して、ゼロからスタートすれば、n=1の人に知られずに発信をすることはできます。

でも、それも嫌なんですよね。
なんか恐怖に屈したみたいで。

この辺が良くないのかなぁ。

意地を張ってるだけなのかな。

逃げた方がいいのかな。

あぁ、でも、逃げた「方がいい」って言ってる時点で、私の気持ちは「逃げたくない」なのかもしれないな。

私はどうしたい?
私はどうなりたい?

私の発信には、今、ここが足りないのかもしれない。


発信じゃなくて、特定のn=1が怖いだけ

というか、ここまで書いて気づいちゃったけど、私は発信が怖いんじゃなくて、私を傷つけてきたn=1の人が怖いだけなんですね。

なんだ、そうか。
そうなのか。

だから、発信もn=1の人と切り離してしまえば良いのだよね。きっと。

あまりにも私の人生に影響のありすぎる経験だったから、なんとなく束で捉えてしまっていたけど、ここを束にしちゃダメなんだ。

怖い人は、怖い人。
発信は、発信。

「誰に」「何を」発信するのかをしっかり決めれば、怖い人には届きようもないはずなんだ。たぶん。

そして、私が発信したいと思うようなこと(女性のキャリアとか、育児とか)は、n=1の人からの距離を取りきれないように感じるから、恐怖心を乗り越えるためにもいったんこの話題を避ければ良いのかも。


結論:発信が怖いわけじゃなかった!

ひかりさんの動画を見てザワザワしたのは、発信に対する感情じゃなくて、私がずっと囚われて抜け出せていない人間関係トラブルに対する感情だったみたいです。

全然まとまりのないnoteになったけど、書かないとわからなかったから、書いてみてよかった。

このnoteは自分に向けて書いているけど、思い返せば発信が怖くなってから「誰かに届ける」ということ自体に躊躇してた面があったかもしれないです。

誰かを思い浮かべることで、誰かを傷つけることになるんじゃないかと思ってしまっていたし、誰かに傷つけられるかもしれないとも思ってた。

それも、半分本当で半分は勘違いな気がするから、これからは自分の気持ちにもっとフラットに、発信をしてみようと思います。






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