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noteはスマホ派?パソコン派?

Twitterから離れて数日。
発信欲を満たすべく、何かあるとすぐnoteの下書きに保存しているのですが(それがしたくてアプリを入れた)、どうにもスマホでnoteを使うのが気持ちの面で落ち着きません。

以前から、Twitterとnoteでは出てくるものが違うと感じていましたが、ここにもヒントがあるような気がしたので、少し書いてみます。

文章に「向き合いたい」気持ち

思い返せば、小さな頃から文章を書くことが好きでした。

日記はひとりでずっと書いていたし(黒歴史すぎて実家を出る時に燃やしたけど)、交換日記は何冊もやっていたし、文通も長い間していました。

こちらも黒歴史に近いですが、ポエム的なものを書きまくっていた時期もあります(これも恥ずかしさに耐えきれずに燃やしました)。短い小説のようなものも、ひとつだけですが書いたことがあります。

私が好きだった「書く」という行為は、特に誰に見せるわけでもない(もしくは特定のごく近しい人にしか見せない)ものを、自分の世界に没頭して書くというもの。

noteは、この時の感覚を思い出させてくれるような気がしています。

真っ白なノートに言葉を置いていくような感覚。
自分の世界で、自分のために、言葉を選ぶ感覚。

おそらく私にとっては「真っ白なノート」という感覚がかなり重要で、スマホのアプリで見るとそこが物足りないんだと思います。

書くことを楽しみたい

「文章に向き合いたい」気持ちとかなり近いのですが、noteに書くときは「書くことを楽しみたい」という気持ちが強いこともわかりました。

スマホで”書く”のはどうにも苦手。

テキストコミュニケーションにはスマホが便利ですが、書きものをスマホでしたいとは思いません。これは完全に個人的な感覚だと思います。

趣味というか嗜好というか、パソコンでカタカタ入力する行為そのものが好きなのもあります。

書く効率を上げるには音声入力を使うのが良いのかもしれませんが、単純に家族のいるところで声に出すのが恥ずかしすぎて…。(ひとり時間が取りにくい環境というのもあるけれど。)

パソコンに向かって書くことで、その文章が「私が作った、私だけのもの」という感覚が強くなるような気もします。そういう感覚も好きです。

というわけで、パソコン派

つらつらと私の好みについて書いてしまいましたが、そういうわけでnoteはパソコン派です。

愛機であるMacBook Airをカタカタしてnoteを書いてる時間が、単純に好きです。

Twitterには、noteで得られる「感覚的な心地よさ」はないんですよね。私の場合ですが。

せっかくの機会なので、noteでの発信を楽しみたいと思います。


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