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アーカイブ-2ごみボックスの廃止前と廃止後

東久留米市が45年続けたボックス収集の廃止前(ビフォー)と廃止後(アフター)。写真ログをとりあえずアップし、資料(ボックスの値段ほか)も後で上げる…(^_^;)?



1 東部地域の某施設前

東部地域のこの場所はボックスの後ろが3階建てくらいの駐車場になっていたのでボックスが置かれていたように思う。写真のように駐車場が壊され新設の施設が建ってもボックス置き場は続いていた。

ビフォー
アフター

割れ窓理論という、1つごみが捨てられていれば「そこはごみを捨てていいところ」とみなされてごみためになっていく場所がある。ボックスが置かれるとそうなっていった。
時々歩いて写真を撮るだけでも、定点観測のようになりますね


2 中部地域の某マンションのごみの一時集積所

1990年頃の写真

 グリーンボックスとオレンジボックス

約20年後 グリーンボックスはそのまま。オレンジボックスは廃止され空き缶とペットボトルのボックスがある。青い網に被されているのは不燃ごみ。

ビフォー

ボックス廃止と家庭ごみの一部有料化の半年後
⬇網の可燃ごみとペットボトル入れと缶入れが常設されてる。

有料化の半年後

⬆️ごみ対策課の当時の課長さんが2016年1月に「ボックスは残すことにした」と言ってたのはこれ。マンションや集合住宅には市が上の写真のようなごみ一時保管のかごを希望する集合住宅に頒布した。これを常設にしている集合住宅もある。ビンの回収と有害ごみのかごも写っている。

⬇️年末年始のごみ収集がない期間によくこれだけのごみで済むようになったと感心する。 回収がないのでビンと有害ごみの回収カゴは避けておいたのかな。

アフター

3 東部地域 養護学校の一角

ビフォー
ボックスの上にカラスよけの網がかけられていたが意味なし
ボックスが撤去された。

東京学芸大学附属特別支援学校の裏の方
ボックスが廃止され戸別収集になった跡に不法投棄が続く。
この一角はボックスを置く用地として、市が学校から長年借りていた学校の敷地の一部(戸建ての敷地などに食い込んでるボックスの敷地は、年にボックス1台=車1台くらいの料金設定で市が借りていたとか)がボックスの撤去により学校に返却されたもの。
学校によりフェンスの工事がされた。

2023年11月

4  東久留米駅商店街近くのマンションのごみ置き場

駅の商店街に近く、商店街のごみ収集と一緒にごみが回収されるのでグリーンボックスを止めて可燃ごみも袋収集になっていたようだが、不法投棄がされていたようだ。
それでマンションの住民だけが出せるようにフェンスが作られていた。

⬆このあとの有料化とボックス廃止の際に、ペットボトル、缶のボックスがなくなる。


5  中部地域のヨーカドーの前

1990年頃の中央町のヨーカドー前
同じ場所のボックス

ヨーカドーは当時のバス通りに面していたため、⬆普段も酷かったが年末年始はさらにひどくなった⬇

90年頃(バブルの影響も)

ヨーカドーはこの後に建て替えられた。また、90年代に袋収集とボックス収集の両方を兼ねたパッカー車(ごみ収集車)の導入により、商業地域では袋収集となったようで、ヨーカドー前のボックスは撤去された。

同じ場所に行って撮ってきた(2023年)

旧バス通りから写す
いわゆる街路樹の「根上がり」問題のために切ったのかな?
保存樹木でした

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