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7. 火葬場にて。

火葬中の1時間強、その場に集った親族で、父の思い出を語り合った。
この場の語らいがとても良かった。

父の兄弟は、父の幼少期のことを教えてくれた。
父は11人兄弟の10番目、男の末っ子で、下に1人だけ妹がいた。妹は3歳離れていた。この日、兄妹は一人の兄と一人の妹、2人のいとこが来てくれていた。

その妹さんは「優しい兄の像」を話してくれた。
ご自身が居間のこたつで受験勉強をしているときに優しい兄は、当時貴重なあたたかい甘味(ココア?)を入れてくれた、と。

父の兄弟の長男の次女(父の姪、私のいとこ)は、父の実家である雑貨屋(角屋)の店の裏で、売り物の量り売りの砂糖をこっそりなめていた、と。そのいとこ曰く、ココアなんてハイカラなものは店にはなかったし、そらは砂糖溶かしたお汁粉だったのでは?!とも。
今となっては飲み物がなんだったのか真実の確認はできないが、優しい兄の入れてくれた温かい甘味は真実なのだろう。

あとはひたすら酒酒酒の話ばかり。
しかも酒に伴う失敗談が多め。
どんだけ酒好きなんだ、と。

母と父の見合いの話。既に知っていたし、敢えて言わなくていいようなことも改めて親族に真実が明らかにされたり。(内容は秘密)

Anyway,それぞれの関わりから語られる父との思い出は、本当に心温まるものが多かった。
不器用で、素直ではなくて、無口で。酒を飲まないと語らない。正直付き合いにくい人と思う節が多かったが、それでもこうしていろんな話を聞くと、今まで知らなかった父のことをあらゆる角度から知ることができて嬉しかった。
願わくば、もっと早く知りたかった。

火葬が終わって遺骨を骨壺に納める時。
骨の形がかなりハッキリと残っていた。
驚いた。

私はいままで火葬までいたことは数えるほどしかない。
しかしそれゆえに、その一回一回の記憶は鮮明だ。
そのどなたの時と比べても異なる、ハッキリとした骨の形。骨董も頭蓋骨も。なによりも喉仏の形が、まさに人が座して合掌している形がハッキリしていた。
ペアで箸を使い納骨する。一巡するも、収まりきらず、火葬場の係りの方が残りの骨を骨壺へ。
その時おっしゃっておられた。
このままでは骨壺に収まりきらないので、お崩しいたします、と。
そう言って、箸を骨壺に入れ、ガサガサと大きな骨の形を崩していた。乾いた崩れる音がホールに響いた。

しかもこの崩しが3回行なわれた。
曰く、20〜30代のスポーツ選手並みの骨の焼け残りだ、と。
とても70代とは思えない、小柄な体格(162cm,60kg台前半)からは想像できないほど立派で丈夫な骨ですね、と。

晩年ホームセンターの駐輪場で転んで頭を打ち、右眉毛の辺りを数針縫う怪我をしていた。しかし骨折は一切なかった。生涯を通じ骨折したことがない、と言っていたことを思い出した。

この骨の丈夫さは、日頃の母の作る食事の栄養価が高いからだろう。

今日は父を弔ってから二度目の週末。
家族で集まり、母の手料理を食した。
生前の父が好きなものを、腕によりをかけて振る舞ってくれた。
かき揚げ、鳥唐揚げ、けんちん汁、豚焼肉。どれもうまかった。

2,3月は神奈川、横浜での仕事の日が数日ある。この日の前日は実家に泊まり、母の話し相手になりつつ父との思い出話を聞こうと思う。

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