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夏至と信念システムとセルフイメージ 「秘密を隠さなければ」「秘密のあるわたしは恥ずべき存在だ」

セラピーの仕事をしているわりに、信念システムとか、トラウマとか、感情解放とか、そういう言葉を口にするのに、いつも抵抗がある。

スイカは緑色の皮があってこそのみずみずしさなのに、赤い汁の滴る果肉を、そのまま持たされた気分に近い。
神聖さに欠けるのも好きじゃないし、泣きゃいいってもんでもない。

人の心は、体から切り離して語ることはできないのだ。

今後は、さらにその方向性を強めていくつもり。
フィジカルに適切に応対することに専念し、フォーカスを絞っていくよう、施術内容の組み替えを図っている。

と言いつつ、6月20日のオンラインWSは「セルフイメージ」がテーマなんだけどね。

セルフイメージは、自分で認識した自己像。誰もがそれぞれのセルフイメージを持っているのに、なんだかとんでもなく奥が深い。

語れば語るほどズレてくるようなものでもあるので、ワークショップの助けになるよう、noteに整理してみたい。

自己像は、「信念システム」という色メガネをかけて認識される。
「信念システム」と「セルフイメージ」。

言葉がどんどんややこしくなるので、具体的にいこう。

ワークショップ当日、わたし自身が扱う信念システムは、「秘密を隠さなければ」というビリーフ。

ビリーフとは、どこかでそれを無意識に受け入れ、信じ込み、当たり前すぎて疑うこともない信条・信念・価値観を指す。

「秘密がバレたら家族が破綻する」
そんな恐怖に満ちた幼少期の経験から形成された信念だ。

そいつが信念として、じゃあ「信念システム」の「システム」って何?

わかりやすくいうと、信念ホットサンドメーカーと言い換えてもいい。
どんな焼き印が押されるのか。
信念ホットサンドメーカーには、3つの鋳型がある。

1. 思考パターンの鋳型。繰り返し浮かんでくる思考、とらえ方。
2. 感情パターンの鋳型。繰り返し浮かんでくる感情や身体反応。
3. 行動パターンの鋳型。無意識にでてくる癖や、習慣。

セルフイメージは、「秘密を隠さなければ」というビリーフ(信念)によってパターン化し、繰り返され、強化され、神経系や細胞にまで刻印される。

わたしの場合、「秘密を抱え、ありのままでいられないわたし」がセルフイメージで、そこに「そんな自分は恥ずべき存在だ」という感情パターンもくっついてくる。
行動パターンは当然、心を閉じ、暗い顔をし、人から距離を取ろうとするだろう。

この一連の信念システムは年月をかけて強化され、その通りに現実を創造し、体験し、「ありのままでは許されない」「ありのままでは愛されない」「ありのままでは無価値だ」という二次的な信念を派生させる。

これらはすべて、無意識の領域で起こっている心身の作用だ。
問題をややこしくするのは顕在意識で、そこではまた別のことが起こっている。

信念システムには、現実をしんどくさせるものもあるし、楽しくさせるものもある。
無意識の領域では、どちらにも善悪はなく、ただ自分を守ったり、要求や快楽を満たすために必要があって形成される。
いつしか必要があったことも忘れ、生体恒常性や免疫システムに組み込まれて、焼き印が押され続ける。

顕在意識は、なんと言うだろう。
顕在意識とはほかでもない、日常的に感じる自分の心だ。

日常の心は、訳もなく恥を抱えている状態を不快に感じ、嫌う。
心を閉じ、暗い顔をし、人から距離を取ろうする理由がわからないから、無理に笑い、強がり、場をやり過ごそうとする。
ありのままでいていい感じが皆無だから、とにかく頑張って認められたり、完璧であろう、好かれよう、としたりする。

無意識とは反対の方向に、突っ走るのだ。
わたしは、認められることは兄に、愛されるのは妹に取られたような気持ちになっていたので、「ありのままでいていい感じが皆無」な気分は、現実感のなさ、生きた心地のなさとして、人生を体験し続けた。

信念システムやセルフイメージがややこしくなるのは、最初はまず、この日常の心、顕在意識の側の欲求が主張されるからだ。

日常の心の「こうなりたい」「これが欲しい」は、「こうではない」の裏返し。

もちろん、何でもかんでもが制限的・抑圧的な信念ばかりではないから、なりたいもの・欲しいものが、すぐに手に入ることもある。

これだけ情報も手段もあり、環境的に自由な現代において、なりたいもの・欲しいものがすぐに手に入らないとしたら、それは無意識の領域にある信念システムやセルフイメージが打ち消していると予測できるだろう。

「マインドブロックですよね、あります、外したいです」という言葉もよく聞く。
そういう人ほど外れにくいのはなぜか。
変わりたいのに変われないのはなぜか。

理由は大きく二つ。

一つは、テレビの中の人が「チャンネル変えたいです」と言っても、そら無理だろう、という単純な理由。リモコン権はテレビの外にある。
テレビの番組を作り、登場人物を見ているのは、無意識の側の「自己」だ。

もう一つは、習慣や癖まで降りて来たエネルギーは、物質的な密度があり、行為は結果を呼び、慣性がつき過ぎているから。
表面的に「ブロックを外した」「ビリーフチェンジした」といっても、意識は一晩もすれば元に戻ってしまうこともある。

自己認識の色メガネごと取り換え、新たなエネルギーを心身に取り込み、習慣を変えていく地道な取り組みが必要になるかもしれない。

自己認識の色メガネを取り替えるのは、バンジージャンプくらいの衝撃をともなう。そもそも衝撃を感じたくないから、顕在意識にしがみつくのだ。

だから、安全ベルトを絞めて、手順を確認して、ジャンプを見守る係員がいる。施術は、何かをやってあげている訳ではけっしてない。
無意識の「自己」とつながる安全な場を用意し、手順を提供するのが施術家の仕事だ。

もし誰かを神のように崇めているなら、もし自分が神のように振る舞っているなら、患者役も施術役もとっととやめたほうがいい。

そんなわけで、わたしはこういう話をするのが好きじゃない。
これを喋っているうちは、「つながって」いないからだ。

夏至前夜のオンラインWSは、LINEでご案内した通り。
2022.6.20 (月) 19:30〜21:30   ¥2,000

参加する人は、自分の信念システムとセルフイメージ、何を取り上げたいか、考えておいてね。
もしかしたらそれは、リモコン権のない、ただの願望かもしれないけど、確実に、ほんとに自分自身とつながる鍵にはなっているから。

すでに具体的な文脈から切り離され、自動ブログラムとなり、強化され、顕在意識と無意識が喧嘩したり和解したりした挙句、わたしの感情パターンには、「隠したい」と「気づいてほしい」「見てほしい」がないまぜになったような欲求が刻印されている。
だから、自分を大きく見せようとする。しかしその大きさには、とってつけたような感じや、虚無感が漂う。

今回は、わたし自身もワークに参加し、メラメラと浄化の火を燃やし、ぐっと場を盛り上げたいと思います(笑)。

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