閉塞的なエネルギーから生まれる、新しい何か
6月に、ベートーヴェンのチェロソナタ3番を踊る。
どんな曲かっていうと、youtubeで、若きヨーヨー・マの演奏が聴ける。
https://www.youtube.com/watch?v=X9pivx91mVk
土曜の早朝に借りている練習スタジオで、今朝一人で動きを録画してみて、あまりの課題、問題点の多さに打ちのめされた。
いったい今まで何をしていたんだ。
チェロソナタは、なぜこうも美しいのだろう。
何が心を震わせるのだろう。
音楽から受け取ったものを、外側へと取り出す技術が、まだ小さすぎる。
一つひとつ咀嚼して、ものにして行くしかない。
オイリュトミーは、言葉や音楽を身体動作として表現する。
それは音楽に合わせて踊るものではなく、体の中に内在する音楽の要素を、作品と結びつけていく作業をする。
体にとっての音楽要素は、呼吸や、歌う機能、リズムを取る足、感情表現する腕などで、そうしたひとつひとつを、細かく細かく拾い上げ、結びつけ、いったんバラバラにして、体によって生命化された音楽を、「空間的・身体的に見える音楽」として表現する。
本は開かれ、誰かに読まれてはじめて生命化する。
音楽も歌われ、弾かれ、誰かの耳に届くことで、はじめて生命化する。
何かが生き生きとするのは、そこに思いが寄せられるときだ。
石のように硬いものでも、思い出のように柔らかいものでも、思いを寄せると生きたものになる。
「思い」は、なんとなく通り過ぎたり、「いいね」くらいの味わいですますこともできる。
何ひとつ通り過ぎず、「思い」を完全に意識に上げようとすると、そこに自己認識が生じる。
体への向かい方、音楽への向かい方、呼吸。
「わたしが何をどう認識しているか」が、さらけ出される。
わたしが所属しているのはオイリュトミーの舞台研修コースで、よりによってコロナ真っ盛りなので、練習にしろ公演にしろ大きな制限を受けている。
公演を自分たちで打つための、表現・制作どちらの研鑽も積まなければいけないのに、ホームの天使館で、ほぼ関係者のみの発表会しかできないような状態だ。
興味あるって言ってくださる方に、来てくださいということもできない。
受け皿がなくて、何かが腐っていくような感覚になる。
これが終わると、あとは10月の卒業公演しかない。
この閉塞的なエネルギーに実はそうとう参っていて、最近は、突破口を開いて拡大するために言葉を書き続けている。
筋力的なトレーニングも、オイリュトミーとは対極にあるのだけれど、極と極をぐいぐい伸ばしたいという動機もあって、トレーニングしている。
ベートーヴェンのチェロソナタ3番には、それまで抑えていた音楽がほとばしる瞬間がある。
それこそ血潮が吹き上がるように。
あと1ヶ月。ほとばしるところまで行きたい。
オイリュトミー・フォルトコース公演 #4
Beethoven
Cello Sonata No.3
in A major Op.69 1mov.
2021年 6月27日(日) 14:30開場 15:00開演
2021年 6月30日(水) 18:00開場 18:30開演
入場無料(要予約)
5月29日(土) 予約開始
出演
27日(日)清水・増田・松島・マノユ・山内
30日(水)葦江・衣山・神山・平松・村山
監修 笠井叡
フォルトコースの10人が、同じ曲・フォルムに臨みます
於 天使館
国分寺市西元町3-27-9
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