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最初の意図が違えば、同じ飛行機に乗るのでも、行き先はまったく変わる。

「なんの意味もなく、ただ毎日やっている」と答えられるものは、強い。

惰性ではなく、習慣ではなく、昨日とは違う一瞬を生きるように、ただ毎日。わたしがどれだけ呆けていても、生命が呼吸を片時も忘れないように、ただ毎日やっている。

「何のためにやっているのか」に答えられないことを、何年も学び続けている。それは、オイリュトミーという身体技法だ。

「何のためにやっているのか」を、抽象的には答えられる。

オイリュトミーは、声の発声力や音楽の持つ諸力を、空間的な運動に変え、見えるものにする身体技法。

体にも自然界にも、「力」という見えない流れが働いている。
体を使って何をやるかではなく、体とは何か、生命とは何か、どう認識するかで、見え方も変わる。

作品を通して、力の流れを表現する。
だからオイリュトミーは、舞台作品になっている。

身体技法だから、基礎練も大切だけれど、具体的な作品課題への取り組みによって、育てられる部分が大きい。

演劇も、そういう部分が多いと思う。
友人の役者は、「銀河鉄道の夜」のジョバンニと「ワーニャ叔父さん」のソーニャに育てられた、と言っていた。

今は、オイリュトミーの舞台研修コース修了公演に向けて練習している。

きのうの日曜、日本語作品のペアを組む相手と、改めて自分たちが何をやるのかを話し合った。

その時、相手の子がこう言っていた。

最初の意図が違えば、同じ飛行機に乗るのでも、行き先はまったく変わる。

ダンスの先生に教わった言葉だという。

人には深いところで意図ごと伝わってしまうし、物事は、意図ごと叶う。

オイリュトミーについて、ある人からこんなことを言われたことがある。

脳科学やマインドハック、メンタルサイエンスは、量子論とともに現代的に発展し、いわばスマホのように技術チェンジした。
あなたはまだ、ガラケーのような方法にしがみついている。好きに選べばいいけど、応援はできない。

こうしたマインドを変容させる技術チェンジには、ボディパフォーマンスも含まれるので、身体的な機能向上を目指したいわたしは、ボディートークの仕事とオイリュトミー学校の時間をぬって、あれこれ通っては試していたのだ。

得るものも多かったし、こうして振り返ってみると、急いだものは、やっぱり続いてもいない。
総じて、どんな人からも、いい影響をたくさんいただいた。ウロウロと迷っていたのはわたし自身である。

技法というのは、通信技術のように変化していく。人間の意識や五感が変化しているのだから、技法も変わって当然だ。

そして、スマホのような革新的な技術シフトは、人々の行動様式にも大きな変化をもたらす。

けれど、ガラケーだろうがスマホだろうが、変わらない人の心もある。

飛行機だろうが、自動車だろうが、手段は目的ではない。

オイリュトミーは、技法だ。技法を洗練させよう。

こんな意図を手放してみたら、ずいぶんと見える世界が変わった。

溺れるほどの策士でもないのに、術に溺れていたのだろう。

広げすぎていた風呂敷を整理して、呼吸するがごとく、作品の息づきの中へ入ろう。

オイリュトミーは、意識化された呼吸だ。
意図を持ち、自らを方向づける。
そして生命のごとく、自らの意図を手放していく。
ただ、毎日があるように、続いていくように。


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