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腸日記#12 あなたは、何を信じていますか?〜居たたまれない空間感覚を溶かす

昨日、夕刻のカフェで、エネルギーをあげるための整理をしていた。
どう仕事や活動をしていくのかという、行動の一貫性をとる作業。
その時、facebookでふと一つの記事が目に止まった。

【私は、おいしいを、信じる】

という、高尾でふたこぶ食堂を営む樹音さんの投稿だ。
いちどお店に訪れてみたいと思いつつ、ご本人にお会いしたことはない。
facebookの記事なので、読める人と読めない人がいると思うが、読めなくても、このタイトルだけでも何か伝わってくる。

おいしいものの写真と、価値づけの言葉は圧巻で、一ファンとしてタイムラインで見かけると読ませていただいている。

最高価値に生きている人のパワーって、こんな感じだなーと思う。

【わたし、祝里自身は、何を信じる?】

わたしは月星座が牡牛座なので、「おいしい」という五感の説得力でこられると、打ちのめされたようになる。

五感の豊かさを満喫する太陽星座の牡牛座に憧れるけれど、蜃気楼のようにつかみきれない。それが月星座。

おいしいものを知らないわけではなく、海辺の村の新鮮な魚や野菜を毎日食べて育ったので、ほんとうにおいしいものは、体に染み込んでいる。

けれど「それがないと生きていけない」というのはなく、レトルトのカレーでも、ガストの冷凍ランチでも平気なのだ。こだわりがないから、脳を中毒させる工業的食品にも騙され、中毒になれる。

だから、意図的に脱出してきた。
タバコ、アルコール、市販の菓子パン、アイスクリーム、スナックなどは、基本とらない。
洋菓子はもともとそんなに食指が動かない。和菓子は好き。
ココナッツサブレを食べると、あの上に塗られた何かと小麦のせいでとまらなくなるので、自分で習慣改善ワークをやってやめた。
今年はさらに穀類も含めた糖質制限をし、炎症改善に取り組んだ。

ギャンブルやドラッグに手を出すと依存しやすいタイプだとわかっているから、最初から手を出さない。
それに似ている。

こういうドライな書き方でわかると思うけど、わたしにとって食事は、そこに「強い命の輝き」を感じるものではないのだ。
何を食べたかより、そこに誰がいたのか。そっちのほうを覚えている。

体を大事にしている、していないという話ではなく、何を信じているのか、大切にしているのか、それが一人ひとりみんな違うんじゃないかっていう話。

では、わたしは何を信じているだろう。

この問いかけが、自分の譲れないものを一段階深く掘り起こしてくれる。

人と違うこと

わたしには、時間感覚そのものが、どうも少し違うらしい。

ひとつは、音楽の聴こえ方。
通常、4分間の作品なら、4分の時間を使って音楽が流れて聴こえる。でも、わたしには、4分間が圧縮され、こんな画像のように音楽が感じられる。

画像1

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これは音楽から受けるイメージではなく、音楽時間が圧縮されて空間的に聴こえる聴覚といえる。最初は自分でもわからなかったが、音楽の訓練を受けているうちに、違いがわかってきた。

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楽譜でいうと、小節線(タクト線)があって、それは数秒ごとに流れていく。わたしには、最初から最後までの小節線が、神社の千本鳥居みたいに感じられるのだ。だからモーツァルトのように流れるような旋律のものより、バッハのように最初から空間的な音楽が好きだ。

ものごとの見え方。
ものごとがどう見えているかというと、千本鳥居と同じく、終わりが見えていることが多い。何を終わりと呼ぶのかどうかは、わたしの定義でしかないけれど。

言葉の聞こえかた。
言葉も空気に乗って、時間の流れとともに聞こえてくる。もちろん意味は取れるけれど、この感覚がとても疲れる。

一気に見れる書き言葉が、圧倒的に楽。やっぱり空間的に、シャッターを押すように「見る」。脳内で聴覚(言語感覚)に変換される。
子どもの頃から自然にそうだ。

いったんそうやって読んだものを、再度、講座などで喋って説明されるのが苦痛でしかたない。だから極力参加しない。または別作業を持ち込んで紛らわす。ばかにしてるんじゃなくて、時間の流れが違うだけ。

人と人と間には、赤い線のようなものが見える。
今は、「必要なことだけが見える」設定なので、不要なものは見えず、すべてちょうどよくしか見えない。
何を聞かれても、見えないものは見えないし、何も聞かれなくても、見えるものは見える。

まとめると、時間は空間的に見え、空間には、いつも居たたまれないような感覚でいることが多い。

音楽が空間ではなく時間的に聞こえるように、人との会話が、時間の中で流れるように。空間の中で、居心地よくあるように。
何度もそう努力してきたけど、うまくいかなかった。

腸日記というのは、思っているより手ごわい。

あなたは何を信じている人ですか?
あなたは何を大切にしている人ですか?

その究極を、問いかけてくる。

腸は、その「わたし」を反映し、信じているもの、大切にしてるものを、如実に反映する。

おいしい、は人気がある。説得力もある。

でもわたしは、その体験は、自分以外の人生にお任せよう、と思った。

否定するのではなく、人の価値観を認めることで、自分の価値観の違いも大切にできる。

わたしは、自分の超感覚を、信じる。

信じきれずに、ツブしてきた感性を、磨こう。誰もマネできないほど。

魚座らしく。

ツブしてきたのは、体の時間性だ。

ツブしてきた空間感覚、居たたまれない空間感覚を、溶かす。

音楽や言葉の時間性を空間的にとらえているなら、空間的な体、環境のエネルギーは、時間的にとらえているはずなのだ。

時間的な体って。

例えば、胎児がお腹の中で経験するあらゆる生命の進化

体の中につねに巡っている、季節。子午の流れ。

時間的な環境ってなんだろう。

雰囲気ってたぶん、時間的なものだ。

思い出も。

あの日あの時、どこそこへ行った。
わたしたちは、そういう時空の体験を、思い出として保管している。

腸日記が終わる日に、このチェロソナタを踊る。

このために、あれこれ取り組み、練習し、もがき、試行錯誤し、逃げ惑い、また向き合い、そんな日々を過ごしている。

音楽を通して、作品を通して、表現様式を通して、動く体を通して、どこにどう取り組んでいるのか、という自分自身が見えてくる。

居たたまれない体を、美しい音楽の時間の流れへと変換する。

抽象的すぎて、一体どうやったらいいかわからないようなこのプロセスだが、なんだ、これまでだって、やってきたじゃないか。
これを具体的な方法として実践できる技術を、何年もかけて教えていただいてきた。

あと18日。わたしにとって、時間は空間だ。広げたり縮めたりできる。

作品に、ツブしてきた体を溶かして、流し込んでいけ。

音楽の醍醐味である、フレーズの持つ感情的、叙情的なもの。わたしはこれを感じるのが得意ではない。感性がないのかと思っていたけれど、おそらく時間の捉え方だ。自分なりの感性のやり方を見つけ出せばいい。


日替わりワード

データをとるために1日の行動記録をつけましょう。
それは、科学者が行う実験と同じです。

たとえば、自分の気になるところ。ウエストとか、二の腕とか、そういうところだけでもいい。測ってみる。毎日。

続けていると、サイズのアップダウンじゃなくて、波が見えてくる。波が見えてくると、その時の状態とリンクしてくる。何があったか、何を食べていたか、どんな負荷をかけていたか、気分は、思考は。

1ヶ月、2ヶ月で、だいぶつかめる。
最初の1ヶ月は現状が、2ヶ月めは自然な変化が。

そうすると、人が信じていて、何か素敵そうなものに、「わー、わたしも!」と簡単にはなびかなくなる。

その人を素敵だと思っていればいいわけで、なんでもわたしに当てはめればいいってもんじゃない。
当てはめて喜んだり、がっかりしたり、しなくていい。

人をマネて有効なのは、手段だ。
そして手段をマネる前に、価値観が似ているかを見極めた方がいい。

自分の波、自分のパターンがなんとなくでもつかめてくると(つかめなくても観察するだけでいい)、その波を、信じることができる。

波を信じることができたら、不惑の境地だ。
それがどんな波でも、波であるととらえることができる。

物質の状態を、波であるととらえる。

体を、時間に変えるって、そういうことでもある。

一日一腸活


えごま油やアマニ油(オメガ3)を加えてみる。

食事内容(6/12)

朝 稽古前にガソリンスタンド併設のプロントで卵の乗っかった食パンの半分、コーヒー
昼 差し入れでいただいたおにぎりと唐揚げ
夜 エビとアボカドのサラダ、餃子、ジャガイモ、パンケーキ

動くぶんだけ、食べる。


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