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「【経済をRethinkせよ】安田洋祐と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。」を視聴して。

先日公開されていた "Rethink Japan"プロジェクトの動画を視聴しました。

多少修正されていますが、こちらに大まかに文字起こしされた記事もあります。

これまでも一応全部視聴してきて知らなかったのですが、こちらJTのRethink ProjectとNewsPicksとのタイアップ企画だったんですね。

個人的にはこれまでの対談で一番面白かったです。以前の回のように会場からの質問があるより、みっちりゲストと話して頂いた方がいいなと思いました。

D:Distance について

今回のキーワードの一つにもなっていますが、安田先生が提唱されている「SDG」(S:Size、D:Distance、G:Gravity)。特にD:Distanceがキーなわけですが、波頭さんからシャノン情報理論への言及があったように、情報理論において2つの確率分布の差異を表すカルバック・ライブラー情報量(D_KL、KLダイバージェンス)に近いなと思います。まあ適当なこと言ってます笑

「距離」を抽象的に導入するには、対象(人や物事やコミュニティなど)をベクトル化したベクトル空間を考え、そこに何らかのL^Pノルムを定義することになりますが、この話の場合、三角不等式を満たすような「距離」である必要はないですよね。

実際には「差異」(つまり"近さ")こそが共感において重要なので、D_KLのようなものが適当かなという気がします。最近流行りの深層学習でやっていることも、結局は同じことです。

ある程度複雑なベクトルや有向グラフの形で、対象を表現することができれば、D_KLの様なものを"近さ"の指標として定量化することができ(当然それが直観に近くなるためには表現とD_KLの定義の仕方に依存する)、金銭的価値で測るSizeに代わってより柔軟な相互評価を社会に導入することができるかも知れません。もちろん、波頭さんご指摘のようにこれでこぼれ落ちるものもありますが、市場による単一評価だけよりはマシになりますよね。

ポイントはこうした相互評価は常に相対的なもので、全て組み合わせに依存します。そして、近いもの同士がクラスターを形成するイメージです。

ただ、金銭価値とは、かつての戦争の単位としての国家が集団を維持する為の徴税権を行使する手段の事なので、他の価値指標が出てきた場合、そこに何らかの課税を行うインセンティブは生まれると思います。

その様な視点で、市場経済とコミュニティ、政治のあり方を整理し、現在実現出来ていない未来を構想することが、今求められているのかも知れないですね。

ただ、"近さ"で共感を得られるだけでは人間は価値判断しない事にも留意が必要でしょう。私が「かわいいとは何か」で書いた様に、共感は根本的な価値を個人レベルで増幅させる(「沼化」)力を持ちますが、一方で逆に同族嫌悪をももたらします。

コミュニティの大きさと社会的流動性

その際、コミュニティの大きさと社会的流動性が極めて重要になります。人間は一度に200人くらい(ダンバー数)としか深い関係を保てないので、3次の隔たりでカバーできるのは200^3=800万人程度(北欧諸国の人口は500〜1000万人)が限界で、それ以上では文字通りもう一次元上の政治システムが必要になります。

また、相手に対し善行を行うか裏切るのかは、社会的流動性(に対する期待)が重要で、固定化されていると1人の裏切りが優位になる為さらに排他的となり、関係が柔軟過ぎてもダメで、詳しくは書きませんが、恐らく7割くらいの流動性が善行に最適であるということがオンラインによるネットワーク実験でわかってきています。

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現代では、リアルとSNSなどのバーチャルの関係性が乗っかっているので、状況はさらに複雑です。

そこには3次以上の隔たりをもつゲゼルシャフトコミュニティが、共通敵の設定なしに共感だけで成立しうるのかという問題が横たわります。

この善行と裏切りという相反する力を表していたのが、対談の中で出ていた引力と斥力のメタファーだったといえるのかも知れません(いや違うかw)。残念ながら重力には引力しかなく、斥力としての重力である「反重力」はいまだその存在が確認されていませんが。

中間層の没落について

成長の実感がないこと、中間層が没落していること、新たな搾取が生まれていることは、私の説明では、圧倒的な経済効用をもたらしてきた安価な石油資源が枯渇した事、新興国の発展とインフレにより、先進工業国の交易条件が悪化し、自動車産業雇用による平等化装置が喪失、デジタル化と自由主義によって社会のあらゆる対象が金融化した結果、テミンのいう労働者の搾取だけではなく、消費者をも対象とした搾取構造が起きている、というものです。様々な生産活動が自動化された現在では、安い労働力が必ずしも重要ではなく、社会のネットワークの中でうまく生産者と消費者の欲望から掠め取る仕組みを作った者(例えばプラットフォーマー)が勝ちます。それはまさにテミンの言うFTE(finance、technology、engneering)とも言えます。そうして得られたお金はまさに権力になります。

それを是正するために政治やメディアが機能していないということなのですが、多くの政治課題は単峰性がない(効用関数のピークが複数ある)ので中位投票者定理が成立せず、民主主義を多数決で行っているかぎり中位者の意見が代表になることはありません。さらに、通常の多数決では情報の非対称性で戦略操作が可能で、メディアの技術向上により"マス"が作られ、マスマーケティングが権力を持つようになると、現代の様な政治のマーケティング化が行われます。そしてお金を持っている世代の意見が政治に反映されやすくなってしまっている(日本だと高齢者)ので、社会的意思決定が金銭的な優位者にさらに有利になるようにしかならなくなってしまっています。そこで、社会的意思決定の方法を、例えばずばり中位ルール(中位者の意見を探しそれに決める、ただしこれも単峰性がないとうまくいかない)にするとか、ボルタルール(選好順序でランク付けする)やマジョリティ・ジャッジメント(選択肢を非常に良い〜非常に悪いなどの5択や7択などで評価する)にする、などの方法で代替する必要があるんだろうと思います。決め方を決めるのも政治なので難しいですが。

メディアに関して

佐々木さんが、

「そんなにメディアが金持ちとかを優遇するような報道すになっている感じはあんまりしないんですけどね」

と仰っていましたが、この発言が今のメディアの現状を象徴しているように思いました。多分、優遇はしていないですが、勝ち組になる為、相対的かつ対マスのウェブレン財競争(=すごーい、えらーいという羨望や称賛などの価値)を煽ってしまっていますよね。NewsPicksもスマートニュースも。ビジネスとはそういうもので、ビジネスメディアだから仕方がないのかも知れませんが。

本当は、メディアこそが変わって、そこから政治が変わって欲しいなと思ったりします。


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