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すき焼き奉行の父

書くンジャーズ2月2週目のお題は【うちの鍋】

僕の父親は全く料理をしなかった。けれどもすき焼きの時だけは違った。
すき焼きの鍋だけは父親が調理した。
準備するのは全て母親だし、すき焼き自体が年に2回程度だったのだけれど。

その光景はとってもよく覚えているし、父親がどんなふうにすき焼きを味付けしていたかも覚えた。
割下は使わない京風(関西風)のすき焼き。
牛脂と醤油と砂糖の順番とバランスで味を整えるすき焼きだ。見よう見まねで僕もそのやり方を覚えた。

就職したテレビプロダクションで毎年の行事があった。
ある宗教団体の行事を泊まりがけて中継する仕事。
京都市内の決まった宿にスタッフ30人くらいで泊まるのが恒例だった。

その宿の夕食はすき焼きと決まっていた。もちろん割下を使わない京風。
就職した最初の年から、僕はその行事のスタッフだった。
その時に驚いたのは、割下を使わないすき焼きの作り方を知らない人が多いということ。

全く知らないではない。
けれど、割下で煮込む作り方はできても、醤油と砂糖で焼く方法はうまくできない人が多かった。
ひとつの鍋を4人ずつ囲むのだけれど、初年から僕は自分の座ったグループの鍋奉行だった。

1年目のペーペーのカメラアシスタントが鍋奉行。
隣のすき焼きの指導をすることすらあった。
そんなこともあって、僕のうちの鍋はすき焼きだという記憶が強化された。

すき焼き奉行だった父親の息子も父親になった。
他の鍋の作り方はあんまりよく知らないし興味がない。
だけれども、すき焼きの時だけは僕が調理を担当させてもらっている。

まあ、今でも年に2回程度だけれど。


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