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音色のリバース・エンジニアリング。

 私は、もう10年ほど前から、過去の名盤で聴く事の出来るシンセサイザーやオルガンの音を、現代の楽器(主にソフトシンセ)で再現し、売る、という仕事をしている。
 音色再現をやろうと思い立ったのは、 かつて1年と3ヶ月だけ社員として在籍した、フランスの電子楽器とオーディオ機器メーカー、ARTURIAの今はもう生産していないOriginというシンセサイザーの、その機能を生かしたプリセット音色バンクを作ろうとしていた時。
 このシンセ、往年の名器と言われるシンセサイザーをモデリングしたオシレーター、フィルターをモジュールとして持っていて、それらを自由に組み合わせて音が作れるシンセなのだ。シーケンサーも非常に充実していた。
音色のレイヤーも可能だし、エフェクトも内蔵している。
 ハードウエアのシンセサイザーというのは、特にアナログシンセは、個体ごとに微妙に音が違うし、世代が変わると出音が大きく変わる事もある。
そしてその録音物となると、当時の録音環境や、エフェクトの使い方でも、聞こえる音は全く変わってくる。何も通さずにラインでダイレクトに録った音と、エフェクトを通し、アンプで再生した物をマイクで拾った音では、元が同じ楽器でも結果は全く違う。そして、単体で鳴っている音を聞き比べながら近づけるのと、他の楽器やヴォーカルと一緒に鳴っている音を抜き出して再現するのでは、作業は、全く異なる。
 完成品を逆に辿って、その設計図(回路図)を作る事をリバース・エンジニアリングと言う。そしてこれは非常に難しい作業なのだが、この作業はまさに音色のリバース・エンジニアリング。いや、それ以上に難しい。ハードウエアの場合は、完成品が、少なくとも使われている部品は見れば解る。基盤設計も、一目瞭然だ。
 しかし、音色の場合、元々何で作った音か解らない場合が多いし、どんなエフェクト、どんなミキシングコンソール、どんな録音方法を録ったのか、基本的には、聴いて推測するしかない。
 とは言え、過去の名盤は、録音スタジオや、使用機材がしっかり記録されている事が多く、これは大きな助けになる。
 だからまず、ネットをくまなく検索して、再現したい音色を鳴らしている楽器を調べ上げ、録音スタジオが判れば、そこの機材を調べ、その自体にその奏者が好んで使っていたエフェクトなども調べる。これらの情報が多ければ多いほど、再現の助けになる。例えばビートルズは、使用機材は全部判っているし、録音スタジオも判っている。そして曲によってはマルチのデータまで公開されているから、各トラックの音色を別々に聴く事も出来る(それはそれで別の難しさが発生するのだが)。ジョン・レノンはメロトロンを多用したがアルバムではアビイ・ロード・スタジオの備品が使われた。
 ジェネシスのトニー・バンクスは時代ごとにどんなシンセやキーボード、機材を使っていたかについて、かなり詳細な記録がある。ある時期まですべての楽器をミキサーでまとめ、レスリースピーカーで鳴らしてマイクで録音していた事も判っている。
 こうして集めた情報を元に、再現に使うソフトシンセ、Originの場合はモジュールを決め、作業に入る。昔のシンセはメーカーや世代毎に音色に特徴があるので、この辺の選択は難しくない。Moogの音をARPで作ろうとして失敗、なんてことはまずない。
 問題は、今は存在もせず、ソフト化もされていないレアシンセを使っている場合だけど、これもまあ、メーカー毎の音の特徴は必ず反映されているので、機種が違っても近似値を得る事は可能だ。
 今から10年ちょっと前になるが、トルコのソフトシンセメーカー、 KV331 Audioが発表した Synthmaster2というソフトシンセ、これがこの音色再現という作業には、まさに最適だった。
  ARTURIAの Originでも相当良いところまで行けたのだが、このSynthmaster2は、さらに上を行く高性能で、特にフィルターに入る信号のレベルをコントロールして、回路内部での歪みを作り出したり、フィルターの入り口、内部、出口でオーバードライブさせられるなど、アナログ実機で発生する現象を、自在に再現出来たし、フィルターの減衰カーブも微調整が可能だった。これで、同じメーカーのシンセの、世代による微妙な音色の違いまで、コントロール出来たのだ。エフェクトパラメーターを駆使すれば、アンプで鳴らした様な音にする事も出来た。シンセパラメーターも、とにかく制限が殆どないので、工夫次第で、実機では不可能な音作りも可能だった。 
 これらの機能のおかげで、単に音源の鳴りだけではなく、様々なプロセスを経て耳に届くそのものの音に、肉薄させる事が可能になった。 moogのシステム55などに搭載されていた、通すだけで変な位相になるFixed Filter Bank的な音も再現出来たのだ。YAMAHA DX7等とタイプは異なる物の、FMシンセシス機能もあったので、DXやSynclavierの音も、頑張れば作れたし。
 いや全く、ソフトシンセとしては全知全能レベルなのだこれ。そしてオシレーターも最大32まで並べられるので、最近よくある、ノコギリ波のクラスターが作る音の壁も容易。
 後は、作り手、つまり私の耳次第。いかに完成したトラックから音を抜き出し、それを再現するか。昔のトラック数の少ない音源はそれでもまだ楽なんだけど、最近の、コンプレッサーで様々な音をギューッと圧縮したやつ。あれが難しい。
 解析ソフトも駆使するし、ライブ動画も参考にする。でも最終的には耳が頼り。特に倍音加算やFM音源の音は、もう、勘が頼り。DX 7ではなく、 Synclavierで作られたと判っていても、こちらの慣れの問題から、あえてDXのFMで挑む場合も。
 これでいいと思った音色も、その音色デモ曲を制作時に、致命的な間違いに気づいて、土台から作り直した、なんてこともしょっちゅう。最初からFMでやれば良いのに、より作業の楽なデジタル波形でどうにかしようとして後から自分でダメ出ししたり。
 これまでビートルズからウェンディ・カーロス、ピンク・フロイド、ヴァンジェリス、ジェネシス、クラフトヴェルク、タンジェリン・ドリーム、リック・ウエイクマン、キース・エマーソン 、TOMITA、YMO、ディペッシュ・モード、デイヴィッド・ボウイー、ジャン・ミシェル・ジャール、チック・コリア、ウェザー・リポート、ハービー・ハンコック、そしてレディ・ガガと様々なアーティストの音色を再現してきたけど、音の分析耳は老化どころか進化している様で、今、昔の作品を聴き返すと、もう一回作り直したい音が大量に…
 しかしこの作業の何がメリットって、先人の作業をなぞる事で、とにかく勉強になるのです。ありとあらゆるシンセサイザーの扱い方が習得出来、音作りのセオリーを学べ、アレンジまで学べる。だんだん耳が研ぎ澄まされて、どんなシンセ使ってるかさっぱり判らないレディ・ガガの楽曲を聴いて、ああ、この音はProphet Vで行けるな、ほんとは違うと思うけど、Jupiter-8 Vで再現出来るとか、そんな判断も可能になる。
 その分キツいです…この作業、ホントに楽じゃない。出来ればオリジナルの音色を作って売りたいです。オリジナル音色も、そこそこ売れてるけど、売れ行きの桁が違います。そしてこの分野に先鞭を付けてしまったせいか、そっちの依頼ばかり来る😅
 需要があるんでしょうね。そりゃそうだよね。

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