小説「鉄琴バードヒル」

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「私、ですか?」琴音は店長にそう聞き返した。「そう。チャイムといえば琴ちゃんじゃん。もらい先、よろしく頼むよ。ネットのフリマアプリとかはやめてね。」そう伝えると店長はバックヤードの薄暗いスペースをすり抜けていった。吉田屋は町の小高い丘の上にある老舗デパートである。かつては町で一番の面積を誇る建物だったが、あと半年でその歴史を終えようとしていた。福嶋琴音が吉田屋に入社したのはちょうど10年前のことである。普通に高校を卒業し、特に考えもなく地元の企業に就職した。琴音が入社して最初にショックを受けたのが、場内アナウンスのトーンチャイムだった。吉田屋は創業以来、場内アナウンスの前後に鳴る「ピンポンパンポン」の音は、録音されたものをボタンを押して流すのではなく、実際に鉄琴のような楽器「トーンチャイム」を叩いて音を出していた。特に仕事というものにこだわりを持たず就活した琴音とはいえこのアナログさには驚きを禁じ得なかった。しかも琴音はその名前のせいで、入社早々に「トーンチャイム係」に任命されてしまったのだ。アナログな社風に煽られて、琴音は毎日使うトーンチャイムの手入れ等の管理を10年ずっとやってきた。そしてここにきて吉田屋の閉店である。琴音が再就職を考えなければいけないのと共に、このトーンチャイムももちろんお役御免である。ベテランの人たちとしては捨てるのも忍びないので、このトーンチャイムの譲り先を琴音に探してほしいということになり、冒頭の店長の一言と相成った。琴音としてはそもそも自分の再就職先ですら迷っている真っ只中なのに、余計な懸案を勝手に増やされてしまったことに憤りを感じていた。とはいえ他の人が勝手にトーンチャイムの処分を決定していたら、「ずっと管理してきたのは私なのに何の相談もなかった」と愚痴っていただろう。琴音は自分にそう言い聞かせて、ひとまず別の業務に集中することにした。

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「いた~琴ちゃん。琴ちゃん見つけたら絶対話そうと思ってたことがあるんだよね。」高橋部長はそういって朗らかな笑顔で琴音に寄ってきた。高橋部長は琴音が小さいころから吉田屋で迷子センターや場内アナウンスを中心に仕事をしてきた女性だ。琴音が入社した時には既に管理職になっていたので現場に立つことは少なくなっていたが、たまに聞けるそのアナウンスの綺麗な声が琴音は好きだった。「琴ちゃんね、私が通ってる話し方教室でね、うちの鉄琴にそっくりなのを見かけたのよ。」高橋部長はトーンチャイムを必ず鉄琴と呼ぶ。「話し方教室って、あのラジオ局主催の?」「そう。今も私週一で通ってるんだけど、ラジオ局がもうすぐ局舎を移転するから局内を色々大掃除してたら、かつてラジオドラマとかに使ってた鉄琴が出てきたんだって。そしたら話し方教室の先生がそれを聞いて、『うちの生徒に高橋さんっていう本物の場内アナウンスやってた人がいるから、ちょっと今度の授業でみんなの前でやってもらおう』って思ったらしくて。久々に人前でやったから緊張したわあ。」高橋部長は少し体をくの字に曲げて笑った。「それで先生に『今うちのデパートにこれに似た鉄琴を管理してる子がいるから、ぜひこれを見てもらいたい』って相談したら快諾してくれたの。だから来週の教室のときに私と一緒に行きましょう。」まるで鉄琴好きと決めつけられてるような気が少ししたが、琴音は吉田屋のトーンチャイムの行先について何も進展がなかったので、何か違った発想を得るきっかけになるかもしれないと思って、高橋部長の申し出を受け入れた。

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町の中心にある地元ラジオ局の建物は大分老朽化が進んでいることが、初めて来た琴音にも明らかに分かった。開局当時からの建物だったということで、局内は社屋移転に向けて所々に大きな段ボールが積まれているところがあった。話し方教室は録音スタジオの1つを貸し切って毎週行われていた。一応見学者ということで、琴音は高橋部長の隣で体を小さくしながら座っていた。「お待たせしました」年齢も服装も様々な生徒が椅子に座っているスタジオ内に講師の白井先生が入ってきた。白井先生は今も現役のベテラン女性アナウンサーである。もう20年以上この話し方教室の講師を勤めてきた。「あら、高橋さんのとなりにいるのが琴音さん?」「そうです。はじめまして、福嶋と申します。すいませんお招きいただきまして。」「いえいえこちらこそ。チャイムは授業の中ごろに持ってくるから、それまで我慢して見学してちょうだいね。」年齢を感じさせないハリのある声で冗談を飛ばしながら、白井先生は授業に入っていった。一時間ほど発声練習をした後、休憩時間に入ったところで白井先生は古びたトーンチャイムを持ってきた。琴音は側面に貼られている製造年月日を確認したが、吉田屋にあるものとそれほど変わらないものだということに驚いた。「ずいぶんボロが出てきたんでびっくりしたでしょう。きっと吉田屋のチャイムはあなたが管理してるからずっときれいなのよね。せっかくこういうのがあるんだからうちの社員も大事にすればいいのに、みんな面倒くさがりだからこのザマなのよ。琴音さん管理の仕方教えてやってよ。」「いえそんな、でも弊社以外でトーンチャイムを見たことがなかったんで驚きました。」「でしょうねえ。これはひょっとして今度の移転で捨てられちゃうかもしれないんだけど、吉田屋のチャイムは閉店したらどうするの?」「まさにそれが今の私の悩みの種で。譲り先を私が探すことになっちゃったんです。」あら、という顔をした後白井先生は「それなら、私がやっている生放送の番組にゲストで出てみない?吉田屋の閉店のあいさつとチャイムの譲り先の募集っていうことで。吉田屋のチャイムも持ってきてもらってさ、うちのと合わせて2つのチャイムの音比べなんてやってみたら面白いじゃない」「そんな簡単にゲストなんて決めちゃっていいんですか?」「いいのよ、結構番組のゲストは私が決めることもあるし。おじんとおばんの二人がしゃべって、おじんとおばんしか聞いてない番組でもよければね。」地方局の緩い雰囲気とフットワークの軽さは、メディアに疎い琴音には新鮮だった。「一度弊社の店長に相談させていただきます。本当は私の再就職先もラジオで募集したいぐらいなんですけどね。」「ああ、閉店ということはそういうこともあるものねえ。やっぱり、同じようなお仕事がしたいとかあるの?」「いえ、全然こだわりはないんですけど…何十年もアナウンサーをされている白井先生は尊敬します。私、そんなに自分の仕事に誇りを持てないから。」「ここの生徒さんとかみなさんそう言ってくれるけどね。でも仕事って自分の力だけじゃどうにもならないことも往々にしてあるから。最後に『私の』仕事にしてくれるのはいつだって周りの人よ。私じゃなきゃいけない仕事なんて本当は何一つないでしょうけど、『私じゃなきゃいけない仕事』と思ってくれる人が周りにたくさんいて、それで一つ一つが『私の仕事』になっていったの。琴音さん真面目そうだから、きっとすぐ仕事のご縁もあるわ。」琴音は帰り道、スマホに白井先生の『仕事論』をできる限りそのまま書き起こした。ラジオ出演の件は店長に相談をしたら二つ返事で快諾された。

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「今日のゲストは、来年惜しまれつつの閉店が決定している老舗デパート『吉田屋』から、業務部の福嶋琴音さんです。」白井先生の紹介でゲストコーナーは始まった。琴音は自分が出るコーナーの30分前に生放送のスタジオに来たが、本当にディレクターから大まかな流れを説明されただけで、厳密な打ち合わせもなく生放送は始まってしまった。白井先生と、ベテラン男性アナウンサーの八木さんの二人がスタジオの中で迎え入れてくれた。琴音は控室で待つ間、局内に流れる放送を聞いていたが、キャリアを感じさせる二人の落ち着いたトークの心地よい番組という印象を持った。「『吉田屋』にはねえ、私の青春がいくつもありますよ。昔は公開放送をあそこでやらせてもらったこともあったんです。この局内でも、白井さんぐらいしか覚えている人もいないぐらい昔ですけど」八木さんがいきなりジャブを放ってきた。白井さんは、年とると昔話が多くってやあねえとそれをいなす。その後はすぐ本題に入り、八木さんによる筋道の通った質問に導かれ、琴音は吉田屋閉店の経緯やこれまでのご愛顧の感謝の言葉などをすらすらとマイクの前で話すことができた。「さて、そんな吉田屋は老舗ですからね。『ピンポンパンポーン』っていう場内アナウンス用の音あるでしょ。あの音は、今はどこも録音したものを流しているんですけど、吉田屋は鉄琴みたいな楽器を毎回実際に叩いているそうなんですよ。琴音さんには今日その現物を持ってきていただきました。今机の上、私の目の前に置かれているんですが、何年も使っているものとは思えないぐらいピカピカですねえ。琴音さんの管理のたまものだ」八木さんが調子よく次の展開を促す。「いえいえとんでもないです。ちょっと今叩いてみていいですか。」「おお、ぜひお願いします。マイクちゃんと拾うかな?」八木さんがサブのミキサーを指さすとミキサーは手で大きく丸を作った。白井先生が琴音に手でどうぞ、という合図を出す。スタジオの中にチャイムの音色が広がった。「いやあ、見た目以上に綺麗な音だ。この後にもう一つみなさんに聞いてもらいたいものがあったんだけど、やっぱりやめたほうがいいんじゃないかな。」「いえそんな、私もこのラジオ局で見つかったチャイムを叩くのを楽しみにしてたので」お道化る八木さんの反応につい琴音は笑ってしまう。「そうなんです。ちょっと琴音さんに説明していただきましたが、このラジオ局も社屋移転に向けた大掃除で、似たようなチャイムが出てきたんですよ。しかしこれが大変なボロでしてね。今吉田屋さんのチャイムの隣に並べられましたが、この錆びだらけのチャイム出してきてスタッフは恥ずかしくないのかねえ。申し訳ないですが、琴音さんこちらも叩いてもらっていいですか?」琴音は再び白井先生から合図をもらって、古びたチャイムから四つの音を並べた。白井先生は鈍~いとケラケラ笑った。八木さんはう~んと腕組みしながら唸った。「やはり現役の音とは言えませんわね。我々もこうなりつつあるんでしょうか白井さん」「私を巻き込まないで、あなた一人で錆びて行ってください」と白井先生は突き放す。「私が吉田屋の放送室で生で叩かせてもらったら変な音が出ちゃいそうだな。琴音さんはラジオの生放送なのに堂々たる叩きぶりなのが素晴らしい」「そんな…緊張しっぱなしです。お二人はやはりキャリアがあるから、生放送なんて緊張されないでしょう?」八木さんはとんでもないとばかりに手を振った。「緊張は今だってしてますよ。行ってしまえば何が起こるかわからない生放送なわけですから、緊張がなくなったらこの仕事はおしまいなんです。その上で緊張しすぎないコントロールが重要なんです。」「八木さんはどのようにコントロールを?」「『緊張していない自分もいるぞ』と自分を認識するのがコツです。人間はそうそう緊張に100パーセント飲み込まれるもんじゃない。そうするとどうなるか。生放送中の失敗をすぐに忘れて頭を切り替えることができる。生放送中に一番やっちゃいけないことはずっとくよくよすること。なので私は放送中の失敗は2秒で忘れられるのが自慢です。終わったら白井さんやディレクターのお説教タイムは待っていますけどね。」八木さんの目がほんの一瞬鋭くなったのを琴音が見逃すはずもなかった。
町の小高い丘の建物がなくなったのとほぼ時を同じくして、巨大なショッピングモールが丘の麓に建てられた。モールのバックヤード、スタッフの名前が書かれたホワイトボードには「福嶋琴音」の文字もあった。最新の放送室の機材庫には、2つのトーンチャイムがひっそりと眠っている。琴音の新しい社員証のパスケースにはプリクラが貼られていた。幼いころ吉田屋に初めてのプリクラが登場し、家族みんなで記念に撮りにいったこと。その時に琴音だけ家族と場内ではぐれて、迷子センターのお世話になってしまったこと。そのせいで琴音だけ涙で汚れた顔で映っていること。そして、そのときの迷子センターのお姉さんのやさしさに憧れたことを、もう琴音が忘れないように。

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