小説「tesoro」

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明日は定休日。「CLOSE」を下げなくてもよいのです。父が亡くなってちょうど四半世紀のこの日には、形見のアコギを修理するとずっと前から決めていたのです。替えの弦もこの日のために買っておきました。とはいえその作業場はいつもの職場と同じ、革の匂いの満ちたこのスペース。住まいは別にあっても、私にとって手を動かす場所、ものを直す場所はここなのです。さすがに30年もののアコギを鳴らすには、まずはちゃんと磨くことから始めるしかないでしょうね。地味いに時間がかかる…少しお話でもしましょうか。『男が先に亡くなるって、一番無責任じゃない?』って恨み節です。いや、半分は冗談で半分はわりと本気なんですよ。少し身を削った話が退屈しのぎになればよいのですが…

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私の母方の祖母は田舎の貧しい農家に嫁いでいきました。祖父は母が高校生の頃に病気で亡くなりました。貧乏と田舎。母はここと逃げながら戦う、といえばものものしいですが、忌み嫌うように少女時代を駆けてゆきます。そのために優秀な成績を残し、すべて奨学金で賄える優秀な学校を出て、都内のテレビ局、土の匂いから一番遠いところに就職します。テレビ局の広報としてキャリアを積む母は、やがてメッセージ性の強い音楽の道を志す、当時大学生だった父と出会います。祖母の姿も母自身の姿も、働く、ということにおいては理想から遠い部分があったのでしょう。人の営みの理想を歌で表現したい父に惹かれたのは、きっとそのあたりでしょうか。私が母のお腹に宿ったのは、父がまだ大学在学中のことです。父はその世界では有名な工業機械メーカーの創業家の出身。産休に入った母のために、大学を中退して実家の会社に入って働くことになります。しかし父はなぜ音楽を学生時代に志したか。これもやはり創業家の家庭から見える労働の姿に対する対抗だったと思います。父は仕事で疲弊していき、私が小学校に入るころ、自ら命を絶つことになります。それが四半世紀前のことです。母はすでに復職し、それを機に仕事にとり憑かれてゆくことになります。

祖母が亡くなったのは父から五年後のことでした。その日は母が務めるテレビ局の、節目の年の開局記念日。深夜に近い時間に家に帰ってきたぼろぼろの母が私に「おばあちゃん、おじいちゃんのところ行っちゃった。今日も明日も、会いに行けない。」とだけ伝えて、玄関で倒れるように眠りについたことを覚えています。母の実家で祖母の仏壇に手を合わせることができたのは四十九日のことです。母は私からは姿が見えないところで、ほかの親戚からの罵倒を受けていました。その間私の相手になってくれた叔父さんは祖母の大事にしていた革の鞄を見せてくれました。「これは君のママが初めて働いてもらったお金で、おばあちゃんにプレゼントした鞄なんだ。おばあちゃん、どこへいくにもこの鞄を持って行ったから、今はこんな形なんだよ」と。叔父によると、私が幼いころ祖母にこの鞄が欲しいとねだったそうなんです。祖母はあのとき私に鞄を渡していればと、亡くなる間際まで後悔していたと。「もうだいぶ古くなってどこかに持ち歩くには恥ずかしいものかもしれないけど、もらってくれないかな」という叔父の言葉を受けて、私は「いつかこの鞄は自分で修理する」と決めました。目指す仕事が決まる瞬間なんてあっけないものです。灯りの消えた母の実家の風景。祖母の晩年の話し相手になっていた機械仕掛けのしゃべる人形は眠そうに半目を開いていて、誰もがそのスイッチを切るのを忘れていたように与えられた椅子に座っていました。

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学生の頃の私が逃げて、闘ったのはなんだったのでしょう。それは「極端さ」だったと今は思います。高校を卒業した私は、父方の実家がある地方都市でレザーリペアの専門学校に入り、2つのお店でそれぞれ数年修行して、自分のお店を開いて今に至ります。母がよく話してくれました。「昔の女性の手は苦労を隠せなかった」と。祖母の手を思い出していたのでしょう。それとはベクトルが違いますが、私もとても可憐な手、とは言えないような手を作ってしまいました。革製品の変色の修理には塗料は欠かせないものです。でも自分のお店で、お客さんの思い出を蘇らせる手助けをさせていただく。この手の落ちない色々が、お客さん一人ひとりの感謝の顔と対になるのです。かっこいいことを言うようですけどね。さて弦も張り替えたし、曲は何にしましょうか……そういえば母が得意げにこんな話をしてくれたこともありました。みんなの知っているような洋楽は、原曲が別にあることも結構あるんだって。色々挙げた結果、「I will always love you」のCDを聞かせてくれました。みんなが知っているホイットニー・ヒューストンではなく、ドリー・パートンの歌う「I will always love you」を。なぜ母が私にそんな話をしたのか、今なら少しわかる気がします。きっと照れ臭かったんですよ、娘の前で意味もなく歌いたい歌を歌うのが。本人は聞きながら口パクしてるつもりでも、少し声になっちゃってましたけどね。それじゃ私は…エリック・クラプトンの曲にしましょうか。これも元々、ワイノナ・ジャッドという人が歌った原曲があるんです。それにします。


それと、私のギターを聞いてもらう前に、あなたにずっと伺いたかったことがあるんです。恨み節の話をしちゃったから、今聞いておきたくなったんです。



綺麗な女の手じゃなきゃ嫌ですか?



Change the World/Wynonna Judd

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