♪ 雑記 ~子育ては楽しいですか?~
オチのない雑記 _ 2021.6.27
最初に1つ、断っておきたいことがある。
この記事は、雑記として載せるか、「記憶と記録」の記事(#のついている記事)として載せるか、正直ちょっと迷った。
自分の体験談に加えて、そのとき自分がどう考えたか、どう行動したかを残しておきたいと思うことについては「記憶と記録」として載せたいのだけれど、今回の話はもっと漠然としていて、だけどすごく大きなテーマであって、「これは単なる個人の見解です」という注釈を至るところに付けなければならないんじゃないかと思うぐらい、勝手に考えて解釈して書いたものなのだ。
保育士の資格なんて、少しもあてにならないぐらい、単なる主婦の勝手な妄想、戯れ言とでもとらえてくれればいいと思う。
ちなみに、いつものことだが、長文である。雑記といえど、やっぱりそれは変わらないので、なにとぞよろしく。気が向いたら、最後まで読んでいってね。
「子育ては楽しいですか?」
その質問に、「楽しいです!」と自信を持って即答できる人が、どれぐらい いるのだろうか。
我が子が小さかったころに同じ質問をされたとしたら、わたしは「大変です!」と即答したと思う。「楽しい」よりも「大変」のほうが、はるかに勝っていたからである。
お猿さんみたいな、生まれたての小さな小さな子どもを自分の腕に抱いたとき、わたしが真っ先に思ったことは、「この子を死なせてはならない」ということだった。
きちんとおっぱいを飲ませて、安心安全なごはんを食べさせて、毎日良いウンチを出させて、気持ちよく眠らせてあげて、たくさんの危険なことから守っていかなければならない。
理解ができる年齢になったら、交通ルールを始め、マナーや人を思いやる気持ち、困ったときにどう対応していくかなど、いろんなことを教えていかないといけない。伝えていかないといけない。この世の中は、危険で理不尽なことでいっぱいなんだから。
ひとりの人間を育てるということは、生かすこと。生かし続けるということ。一緒に生きて、いつかひとりで生きていけるように、心と身体を作っていくということ。
そんな大変で重要な任務を、これから数十年、自分が背負っていくんだということ、どれぐらいの人がその覚悟を持って子どもを作っているだろうか。
子どもが生まれると、それまでの生活が一変する。
新生児 (生まれたて〜生後1ヶ月まで) の赤ちゃんのいる生活が、どういうものなのか。
2時間ごとにお腹を空かせて泣く。昼夜問わず。大人と一緒に夜まとめて寝てくれることなんて、数ヶ月先の話。
オムツ替えは1日に約20回。新生児用の100枚ぐらい入っているオムツパックも、1週間を待たずしてなくなってしまう。ウンチは1日5〜10回。オムツ替えをした直後にまたウンチをすることもよくあるし、オムツ替えの最中でさえ、次のウンチをすることもよくある。おっぱいをあげて、ウンチオムツを替え、寝かそうとしてもなかなか寝ずに、そうこうしているうちに、またお腹を空かせて泣くなんてこともある。
抱っこで寝かせることができても、背中にセンサーが付いているかのように、布団に下ろすと起きてしまう。また抱っこして寝かせる。下ろそうとする。起きてしまう。抱っこ寝。下ろす。起きる……このループである。
たとえば、おくるみや毛布にくるんだ状態で抱っこ寝させると、下ろすときの振動が和らぐので下ろしたときに起きにくいとか、添い寝おっぱいをして寝かせるとそのまま寝てくれるとか、おしゃぶりに慣れさせるとくわえただけで寝てしまうとか、そういうコツを掴んだのも、ずっとあとのことだった。
とにかく赤ちゃんにつきっきり。昼も夜も。こんな状態で、洗濯・料理など家事をする時間があるだろうか。自分がごはんを食べる時間があるだろうか。
わたしは、抱っこしておっぱいをあげながら、パンやきゅうりをかじる生活だった。おっぱいを出すために、水分と栄養を取らないといけないのはわかっていたが、そんな余裕は少しもなかった。洗濯も掃除もできやしない。首がすわり、おんぶ紐が使えるようになるとグッと楽になるが、それはまた数ヶ月先の話。首がすわるまでの3〜4か月、ずっとそんな生活だった。
わたしが倒れてはいけない、この子を死なせてはいけない、生かしていかなければと、必死だった。
ちなみに、決してシングルマザーではない。このときも、健康で働き盛りの旦那がいた。
娘が生まれたころ、1・2階縦割りのアパートに住んでいた。1階にリビングと台所・風呂・トイレ、2階に6畳2部屋というテラスハウスだ。
そのころ、旦那は週休2日、平日は毎日出社するという、普通のサラリーマンだった。給料も決して高くはない。会社に迷惑をかけたら、給料が下がってしまうかもしれない。寝不足で仕事をさせるわけにはいかない。当然のように、そう思っていた。
だから、娘を出産して退院した日の夜、旦那に「わたしは下で寝るから、気にせず上で寝ていいよ」と言ってしまった。
これが、わたしの人生の中でいちばんの失敗で、大きな大きな間違いだった。
親になってまず最初に訪れる、この大変な数ヶ月を、わたしひとりで背負うと、わたし自身が宣言してしまったのだ。
ふすま一枚へだてた隣の部屋というわけではなく、1階と2階に区切られた空間。娘が夜中にいくら泣き続けても、旦那は降りてこなかった。
そうやって子育てをスタートしてしまったことで、昔ながらの昭和の家庭のあり方と同じ意識を、旦那に植え付けてしまった。
父親は外で働きお金を稼ぐ。家事・育児は母親がすべきもので、父親は母親が困ったときに少し手を貸せばいい、と思わせてしまった。
でも、間違っていた。あの退院してきた夜に、1階で3人一緒に寝て、たとえ旦那が寝不足になろうとも、2時間ごとに起きる生活を一緒にすればよかった。子どもを生かす大変さを、共有すればよかった。
そうしていたら、わたしも旦那も、結婚生活も、今と全然違ったものになっていたのではないかと思う。
わたしが短大の保育科に通って勉強していたときに、よく考えていたことがある。なぜ「保育」を中学や高校の必修科目にしないのか、と。
当然、保健体育の授業で少し習った記憶はある。だけど、そんな簡単な話をしているのではない。年間で数時間じゃ、全然たりない。中学3年間、高校3年間、みっちり授業してもいいぐらいだ。
子どもを産み、数十年かけて育てていくこと。生かしていく、ひとりの人間の命を預かるということ。重要な任務を背負うという大きな覚悟を持って、子どもを作るべきだということを学んでほしい。
でも、こんなことを学生のうちから知ってしまったら、子どもを作りたくなくなるんじゃないの?と思うかもしれない。確かにそうかもしれない。
それでも、親になるために、すごく大事なことなのだと思う。
そして、生まれたての赤ちゃんがどういうものなのか。どういう成長過程を経て、大きくなっていくのか。日々、赤ちゃんはどんどん変わっていく。その都度、何をしてあげたらいいか、何に気をつけなければいけないか。その子の成長に合わせて親の関わり方も変えていかなくてはならない。
それを知識として持っているだけで、心構えと対応の仕方が大きく変わってくると思う。大変なことには変わりないが、親としてできること、すべきことを自分の知識の中から全力で探し、その子にはどの方法が良いかを試すことができるようになる。必死で子育てに取り組む。知識はその手助けになると思う。
だから、子どもを作る前に、赤ちゃんについて、子育てについて、たくさん勉強しておいてほしい。
それは、母親になる女子だけではなく、父親になる男子も一緒に。中学や高校で必修科目にしてほしいと思う一番の理由は、そこなのだ。
父親が、きちんと父親になるために。
長くなるが、最後にもう1つ。
決して、子どもを「ひとりで育てられる」と思わないでほしい。まわりを頼っていい。赤ちゃんと母親の健康のために、頼るべきことであって、頼るのは当たり前のことなんだと、知っていてほしい。
まずは一番近くにいる、旦那様に。そして、可能であれば、ご両親に。
難しいようであれば、友人でも、元職場の先輩でも、近所のおばちゃんでも、公民館でやっている親子の集いに来る人たちでも、市役所の相談窓口でも、SNSでも。
しんどいです、どうしたらいいかわからないですと、声をあげることは恥ずかしいことなんかじゃない。無理だと思うときは、誰かに助けを求めてほしいと思う。
そして、子育てがどんなに大変でも、楽しいと思えなくても、どうか自分の子どもを嫌いにならないでほしい。
悪いのは子どもではない。辛くて大変な子育てをしなければならない、その環境なのだ。
いつか、子どもが成人して巣立ち、ああ、頑張ってこの子を育てて良かったと思えるときが、きっと来るから。
世の中の、小さい子どもを抱えるお父さん、お母さん。それから、これから結婚して子どもを育てていくであろう男子、女子。
「子育ては楽しいですか?」と聞かれて、「楽しいです!」と答えられなくてもいい。
いつか「楽しかったです!」と自信を持って言えますように。
(タイトル画の写真ですが、息子から「赤ちゃんのときの写真は好きに使っていい」とお許しをもらい、載せています)
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