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♪ 雑記 ~人は人を変えられるのか~

オチのない雑記 _ 2021.9.22


以前、とある場所で「年をとって丸くなった」「人に対して諦めを感じるようになった」という話をしたことがある。

わたしが言うそれは、主に旦那に対して…の話だ。

同棲して25年、結婚して23年になるが、同棲し始めたとき、感じた違和感に対して「きちんと話をすれば変わってくれるだろう」「習慣づければ大丈夫だろう」と安易に思ってしまったことが間違いだった。

同棲前に旦那が身につけてきた生活習慣や、自分以外の人に対する感覚のズレは、同棲後25年の月日を費やしても決して変わることはなかった。変えることはできなかった。

そこで、わたしは「自分が変わりたいと思って変わるのはすごく良いことだけど、自分が誰かを変えられると思ってはダメだ」と結論づけ、とある場所でそういう発言をしたのである。


しかし、これ、自分が部下を持ち、上司という立場になった場合は、少し話が変わってくる。今回書きたいのは、そこだ。

実は、現在 稼ぎの少ない在宅ワーカーで、イラストばっかり描いているわたしにも、部下を持つ「上司」だった時期がある。


20代前半、某進学塾の本部の業務課で2年ほど働いていたことがある。ブラインドタッチしかできなかったわたしに、DTPを叩き込んでくれたのがその会社だ。

わたしが配属されたのは、業務課のパソコン室というところだった。主に、DTPソフトで進学情報誌を作ったり、模試の結果を変換して Access に取り込んで成績優秀者の速報を作ったり、進学セミナーの原稿を PowerPoint で作ったり。DTPソフトと、今でいうところの Office のソフトを駆使して、いろんなものを作るという作業は、とてもとても楽しかった。

また、仕事の1つに、他の部署の原稿を清書するという仕事があった。今でこそ簡単な書類は自分で作るのが当たり前だが、30年前の話である。パソコンが各部署に2~3台しかなくて、使える人も少なかった。だから、他の部署からパソコン室に届いた手書きの原稿を、きれいにデータ化して各部署に戻すという仕事だ。

わたしが配属当時、同い年のパソコンおたく男子がパソコン室のリーダーだった。そのあんちゃんが、私の初の上司だ。あんちゃんがソフトの使い方に加えてDTPの楽しさを教えてくれたから、今のわたしがあると思っている。本当に感謝してもしきれない。

そんな中、1年ほど経った頃だろうか、あんちゃんが他の会社に引き抜かれて辞めてしまった。パソコン室に古くから勤めている人は、時短の主婦の方しかいなく、わたしがリーダーとなってしまった。部下は夕方からのバイトも入れて、5名ほど。

リーダーの仕事は、他部署や上司から仕事を受けて、部下に分担する。できあがった仕事をチェックして、担当者へ戻し修正してもらい、再度チェック。完成したら、依頼者に戻すという仕事だ。

はっきり言って、ぜんぜんおもしろくない。自分で何かを作ることから、完全に遠のいてしまった。

でも、リーダーになって気づいたこともあった。

いつもつまらなそうに仕事をしているバイトの子に「これ、間違いさがし。よろしくね」と言って数字チェックを依頼したら、その子が少しやる気になってくれたり、眠そうなときに話しかけて少し雑談するようにしたら、少しだけ楽しそうに仕事をするようになってくれたりしたときには、とても嬉しかった。

パソコンのできないパートさんを集めてパソコン教室を開いたときも、「すごくわかりやすくて楽しかった」「私にもできそう」と言ってもらえて、教えるということにやりがいを感じた。わたしが今やっていることは、わたしがあんちゃんからDTPの楽しさを教えてもらったことと、きっと同じことなんだと思った。

そう思ったら、部下を育てることって、なんだか少し保育に似ているなと思った。単にやり方や知識を伝授するだけの押しつけではなく、わたしの言葉を受けた人が何かを感じてくれて、それがその人の成長につながる。素晴らしいことじゃないか、と。


そんな中、パソコン室に新人さんが入ってきた。少し年下の女子で、過去に一太郎(ワープロソフト)で文書作成をしたことがあるという人だった。経験者ということだったので、他部署からの手書きの原稿を渡して清書を依頼した。できあがった文書をチェックして、「ここはこうしたほうが見映えがいいから、こうしてね」と伝えたとき、思わぬ言葉が返ってきた。

「えー、わたしはこっちのほうが綺麗で読みやすいと思いますけど?」

びっくりしすぎて、声が出なかった。そんなこと、自分自身、上司だったあんちゃんに言ったことはなかったし、リーダーになってから誰からも言われたことがなかった。

そのとき、「何かを作ることって、感性やセンスによるものなんだ」と改めて感じた。進学情報誌や成績優秀者の表は、前例があって型が決まっているものだったから、それまであまり感じたことがなかったのだ。感性やセンスを必要とする仕事には、正解がない。数学のように、導かれる答えが決まりきったものだとしたら、すごく楽なのに。

わたしがその人に「こうしてください」と指示したことは、わたしの感性の押しつけであって、その人を伸ばすことにはならない。だけど、それを個々の感性に任せていたら、パソコン室が作るものに統一性がなくなってしまう。リーダーってなんだろう。どこまでわたしの感性を押し通していいのだろう。いろんなことが急にわからなくなった。

結局、そのあと、わたしはその会社を辞めて、DTPに専念できる会社に転職した。人の上に立つより、自分の感性やセンスを生かせる場所で働きたいと思った。


さて、ここまでで、相容れないと思われる3つのことを書いた。

◆「人を変えようと思ったって無理なんだ」という諦め

◆「自分の言動が人に良い影響を与えることができて、その結果、その人が変わっていく」という素晴らしい体験

◆「感性やセンスに関することについては、自分の押しつけになってしまわないように気をつけなければならない」と感じたこと


上の3つのことを踏まえて、タイトルの「人は人を変えられるのか」ということを考えると ……

「人から影響を受ける」ということは、その人から何か言われたという事実だけではなくて、自分がそれに対して共感したり、反省したり、自分は変わらなくてはと思ったりすることであって、自分主体で変化していくことが大事なのだと思う。人が変わるには、共感、反省、変わるという意志、これが重要なポイント。

わたしが25年かけて一生懸命伝えてきたことに対して、旦那が共感したり、反省したりすることがなかった。だから、25年かけてもわたしは旦那を変えることができなかった。根本的な性格の不一致でもあり、心を動かすことができなかったわたしの力不足でもある。

そして、人を変えようと思って発した言葉が、必ずしもその人の心に届くとは限らない。いろいろな人間がいるのだから、良いと思う人も、悪いと思う人も、なんとも思わない人もいる。あのとき「私はこっちのほうがいいと思いますけど?」と言ったあの人のように。仕方がないことなのだ。それを理解することが大事。


最初に書いたように、とある場所で、わたしは「自分が誰かを変えられると思ってはダメだ」という話をしたわけだが、その話をする少し前、別の方が「部下から信頼されていないので困っている」という相談を持ちかけていた。

ざっくり言うと「部下が自分の指示を無視して、違うやり方でやっている」という話だったのだが、今思えば、わたしがリーダーだったときに「私はこっちのほうがいいと思いますけど?」と言われたことと似ている。

わたしが言った「自分が誰かを変えられると思ってはダメだ」という話は、決してその方への回答で言ったのではないのだけれど、もしかしたらその相談者の方は、自分に対して言っているのだと感じてしまったのではないかと、実はずっと気になっていた。

いろんな仕事がある中、数学の問題を解くように、前例のある成績優秀者の表を作るように、やり方やルールが決まっているような仕事だったとしたら ……

その場合は、上司として自信を持って、理解してもらえるように何度も伝えていくべきなのではないかと思う。仕事の効率や、職場のまわりの人との調和を考えたら、たとえ大変でも、理解してもらうことはその部下のためになることだと思うから。その部下の心に響く言葉とやり方を探しながら。

そうすれば、人は人を変えられる …… こともあるんじゃないかと思う。


いろいろ考えてみたけれど、曖昧な答えしか出せなくて、ごめんなさい。まぁ、これは「オチのない雑記」だから、これで良しとしようか。

「人を変える」ということについて、少し考えるきっかけになっていたらいいなと思う。

あの相談者さんは、どうしているかな。部下の人に、相談者さんの言葉が届いていることを祈って。





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