そろそろ寒くなり、ヨット仲間の集り具合もままならなくなった頃、外装のペンキを塗り替えたいと思うようになった。マリーナの中で艇の修理をしているプロに相談してみた。無論、始めから自分で塗るつもりではいたが、まずはプロの意見を聞いてからにしたいと思ったからである。

プロ曰く、「ウレタン系がいいかな。刷毛で塗るのは少々難しいけれど、塗ってしまえばこれが一番良い。」。

今、塗ってある塗料との相性についても聞いてみた 。
「ワックス掛けをしてなければ、その上から塗っても大丈夫。」。

自分でやろうと言う人へのプロの温かいアドバイス、こんな素晴らしいマリーナがあるだろうか。
昔、所属していたマリーナでは自作が許されていなかった。そこでは別のマリーナに回航して艤装をした艇がある、という話を聞いているだけに、なおさら、このマリーナの素晴らしさを感じた。

我々の船『酔鯨』は、ゲルコートの上にワックス掛け、というつるつるの肌ではない。おばんの厚化粧で、笑うと剥がれるかもしれない程にお歳を召している。

年が変わって塗料と硬化剤、それに溶剤の一式が届いた。 残ったものは全て買い取るから塗り終ったところで支払ってくれ、とプロ。しかし、流石に見積もりは正確で、ぴったりの量だった。

ウレタン系のペンキを刷毛で塗るのは、プロの助言どおり難しかった。容器に入れた塗料の表面に、昔の牛乳のような薄皮ができる。これを刷毛で引張ると無数の糸が煙のように立ち昇る。要するに、べたついて塗りにくかった。

それ以上に困難だったのは、ゴムの防舷材に貼り付けたマスキングテープを剥がす作業だ。

「早く剥がさないと取れなくなるよ。」とプロが教えてくれたのだが、素人が三回塗るには最短でも三週間は掛る。日曜日に雨でも降れば一ヶ月になってしまう。 

彫刻刀でマスキングテープをしこしこ剥がしていると、「ドライヤーでやるといいよ。良かったら貸してあげるよ。」と上を見上げて教えてくれた人がいた。てっきりプロの部下だと思っていたら、まったく関係のない人だった。確かに、温度を上げれば粘着力は下がる、されど紙の強度は変らないのだから、上手に剥がれそうである。彼はステッカーもこれで剥がすと言っていた。何でも好きで自分でやる私だが、マリーナにはもっとお好きな方がいらっしゃる。

さっそく次の週にやってみると、これがまた抜群の効果があった。この日はあいにく下り坂の天気で久し振りに冷え込んだ日だった。ドライアーを持つ手が冷たく、時々右手に持ち替えて、左手を暖めた。午後には予報通りに雨が降り出し、 横浜を過ぎるころから雪に変わっていった。

夏が待ち遠しく思える、冬のマリーナ通いの帰り道だった。

(昭和62年3月7日)


*代理の娘より一言

当時は土曜日も半日勤務の時代、父は唯一のお休みの日曜日、真冬でもマリーナに毎週通っていたように思います。こんなことをしていたんですね。

先週、父に「ネットで調べてみたら、当時のあのマリーナは買収されてしまったようだね。」と話してみたところ、「船の修理は韓国の方が安いから、みんなあっちでやるようになって、全然儲からなくなって、どんどん商売を切り売りしてったんだよなぁ。」と。

父の文章を読むと、マリーナの職員の方や修理のプロの方たちはお優しくて、父にも色々教えてくださり、利益度外視だったのかな・・・、などと感じました。


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