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プラスチック・アンブレラの歌詞解釈

2.5周年で始めた新米が三峰のソロ曲について語ります。所持していないカードもあるので不足もあると思いますが、色々教えていただけると嬉しいです。


「頭痛止め切れた」
「驟雨降り注ぐでしょう」

 低気圧の時頭痛がする人はあなたの身の回りにいないだろうか?頭痛止めが切れたということはそれほど頭痛止めを消費した=雨が沢山あったということであると考えられます
 驟雨とは対流性降雨という、急で長続きする、夕立や積乱雲のような雨のことです。
 さて、この「雨」が示唆するものは何でしょう?

「無数歩く人、人、人、人」
 ここ天才ポイントですね。傘をさしている人が沢山歩く町が思い起こされます。「傘」という漢字に「人」が4つあること、「しとしと」と降る雨音と「ひとひと」という押韻、とてもオシャンですね

「どうせ失くすもの」
「どうして?錆びててもなお両手で握りしめて手放せない」

 何を失くすのか、その答えは曲名にあります。「プラスチックの傘」。いろんなところに忘れられてるのを見ませんか?そんな、すぐに失くすものなのに、錆びてても手放せない。なぜでしょうか、そして「傘」とは何でしょうか

「丸が欲しいの」
「丸正しいの」
「丸はみ出したくない」

 丸とは?私は「(上から見たら丸い)傘」であると考えます。傘が欲しいの?傘は正しいの?そして、雨に当たるからでしょうか、傘をはみ出したくない。傘は最小のパーソナルスペースと言います。パーソナルスペースを大事にする三峰にとって、「丸」という領域を示すような表現は、「傘の内側」=「三峰のパーソナルスペース」を示していると考えられるでしょう。つまり「傘」とは三峰を外界から仕切る「精神的境界」(ATフィールド)を示していたわけです。表の顔の自分、と捉えてもいいかもしれません。三峰Pならわかるでしょう、彼女はATフィールドの在り方について非常に悩んでいます。「私はパーソナルスペースが欲しいの?」「公私の線引きはこれであってる?」。
 これで傘を出たくない理由もわかりました。パーソナルな部分がむき出しになった精神(傘の持ち主)に「雨」が当たるのを嫌がったのです。

「わたしの表情 私の本性 覆い隠せ全て」
 彼女は表の表情に彼女の裏の表情、本性が隠れる事を願います。

「ねえ誰か見つけて。誰も近づかないで」
 ここ、めんどくさいポイントですね。三峰は自分のパーソナルな部分に踏み込んで欲しい気持ちと、あまり踏み込んで欲しくない相反する感情を抱えていて、それがわかりやすく表れた歌詞です。ビニールの傘は視線は通すけど、内外の間の物理的な障壁であることを掛けてあるオシャンな歌詞ですね。

「ビニールの傘の向こう 溶けてゆく夜」
 ここは正直自信ありません!!!!!思いついたことと言えば、雨水に傘の外の夜空が溶ける=傘の外が雨水でいっぱいということかな?という漢字です。(自信が全くないので以下ではこの解釈を利用しません)

「降り注ぐ音から 世界から遮った」
「ビニールの傘の中で鼓動がうずく」
 降り注ぐ音、これは雨が傘に当たって鳴る「ぽつぽつ」とか「ぼたぼた」という音でしょう。降り注ぐ雨を遮ってはいるけど、心の中ではドキドキしている。このドキドキの原因は間違いなく「雨」でしょう。三峰の外から三峰の心に働きかけるこの「雨」、「Pやアンティーカが三峰の心に踏み込むこと」と捉えてもいいのでは?

「良い子してること」
「一応、がやめられない」
「置いてけぼり食らうのが怖かったの」

 「良い子する」は「表の顔を取り繕う」、「傘をさす」ことで間違いないでしょう。一応、雨が降るかもしれないからビニール傘を持って出かけます。置いてけぼり、はビニール傘がよく置き去りにされることと掛けてあるのでしょうが、ここは流れ的に「三峰」が置き去りにされる、捨てられることが怖かったから一応傘を持っていた、ということでいいでしょう。いつPやアンティーカ(また、その他の他人)が自分に踏み込んで来るかわからない。自分の本性が知られたら嫌われて捨てられるかもしれない(冬優子に似てますね。ふゆみつ流行れ)。だから、それに備えてATフィールドを貼り続けるのをやめられない。

「わかってほしい」
「わかられたくない」
「わからないでいてね」

 本当は少し本性をわかってほしい。でも、分かられるのは怖い。だから、分からないで、踏み込まないでね。(めんどくせえ〜すき)

「濡れたままで進むだなんて」
「ありえないってほんとに」

 本性むき出しのまま他人に見られ続けるなんて怖くてできない

「ぶつからないように隙間を縫ってきたの」
「ビニールの傘の向こう 行く先はどこ」

 他の人と心理的境界が接するのを避け、過度に関わるのを避けながら右に左に蛇行しながら生きてきました。他人を避けて避けて、その先に何があるのか。何もないかもしれない。独りかもしれない

「絶え間なく流れる」
「ホワイトノイズみちてた」
「ビニールの傘の外の街鳴り聴いてた」

 ホワイトノイズとは絶え間なく一定に広い範囲の高さで鳴る音らしいです(要検索)。街鳴りとは宣伝したい音楽を街で流すことらしいです。「絶え間なく流れる音」は「絶え間ない雨音」と捉えられます。傘の外、街ではいろんな音楽が流れます。Jpop、Kpop、洋楽そして、アイドルソング。絶え間なく自分に踏み込んで来るPやアンティーカ。それを遮ってはいるけど裏の心の更に奥では街で流れる歌を聞いていた。それがアンティーカの曲調だったらいいな、と思います。
 胸に燻る焔を「ウタ」に、孤独な泪を「ネガイ」に変える、新世界の革命的アイドルユニット、アンティーカ。そこで過ごすうちに三峰心は少しだけ外向きになっていたのかもしれません。ずっと他人を避けてきた三峰の孤独な世界は革命の時を迎えているのかもしれません。



「ねえ 誰か見つけて」
「ぶつからないように隙間を縫ってきたの」

「ビニールの傘の向こう もう曇り空」
 誰かに私(三峰)の心に踏み込んで欲しい。ずっと孤独に生きてきた。そう独白する三峰が見上げる空には、もう雨雲がやってきていました。

「何もかも滲んだ」
「世界から 今から」
「ビニールの傘を閉じて」
「まぶたを開けて」

 傘を出て(心をさらけ出して)、雨雲を直視したら(アンティーカやPと向き合ったら)視界が滲んでしまった。視界が滲んだのは雨が目に入ったからなのか涙が流れたのか。外の世界から三峰の目へと何かが滲み出したのか、逆に内の世界から外の世界へ何かが滲み出たのか。それぞれの解釈があると思います。

「頭痛止め切れた」
「驟雨 今夜降るでしょう」
「無数歩く人、人、人、人」

雨(pとアンティーカ)がずっと自分に踏み込んで来ていた。今夜もドタバタと踏み込んで来て、きっとしばらくいなくならないだろう。今の三峰には、避けてきた他人がどう見えているでしょうか。

まとめ
 心をさらけ出すのを怖がっていた孤独な三峰がアンティーカやPと出会って、少しだけ傘の外に出てみる。三峰のめんどくさいところを歌った、自己紹介のような歌ですが、歌い終わる頃には三峰は少しだけ外に踏み出している。自己紹介曲でも「三峰結華」というキャラクター性を固定せず、変化を描いたところは私がシャニマスを好きな理由だと思います。変わり続けるのが人間であり、三峰であるのです。今後三峰とアンティーカの関わりはどう変わるのか。ストーリーストーリーの次のアンティーカコミュが楽しみです。

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