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ユートピアを作るという意味でのキャンプ

ある大学のアウトドアライフコース(すごくマニアックな学科😂)を受験して合格していたくらいには、アウトドア(スポーツフィッシング)が好きなので、
たまに釣りをしたくなる時があります。

最近は北海道に帰った際、氷が張った湖に穴を開けて釣る"氷上ワカサギ釣り"くらいしかしていませんが、毎日でもしたいくらい釣りが好きなんですね。

ただ、今の自分にはそれよりもやりたいこと(そしてやるべきこと)があるので、アウトドアからは離れているんですが、世間の流れとしてはとてもアウトドアが流行しているなと感じています。

YouTubeのキャンプチャンネルの量はもちろん、身近な知り合いでも休日はもっぱらキャンプ!という人が少なくありません。

なかには、車をDIYしてプチキャンピングカーを作っている方もいて、この流れは待ったなしなんだなぁと眺めております。


ここで僕が気になるのが『なぜキャンプ(アウトドア)がこんなに急激に流行しているのか』ということで、それについて明確な言語化はできていなかったんです。

もちろん受験をする時に文献なども参考にしながらかなり真剣に考えたのですが、それっぽい答えを言うことはできても自分の中で「これだ!」というような納得感のある言語化はできていませんでした。

ただ、最近のキャンプはいわゆる従来のキャンプ(テントを張って寝る)とは少し違っていて、テントの中やキャンピングカーの中をめちゃくちゃおしゃれにしたりするんです。

ここでいう"おしゃれ"というのは、デザイン的な面から言うとダサい!!!でもよくて、あくまで自己満足のおしゃれです。

つまり、テントの中やキャンピングカーの中は、自分の好きなものしかないという状態なんです。


これがポイントな気がしていて、おそらく現代の人々は"プライベートの範囲が非常に狭くなっている"んじゃないかと感じました。

今までの一般的な"プライベート"は、家族や友達、そして知り合いも含めていたと思います。
言い換えれば、"仕事以外"がプライベートだったと言えます。

しかし、昨今の世の中の状況を見ると、やっぱり積極的に人と関わっていきたいとは思えないのはすごく理解できるんです。

僕はエンターテインメントという仕事柄もあってか、人間を観察するということが趣味でもあるので、どんなにそりが合わない人でもいい感じに関わることができます。
感情的には気持ちよくなくても、「この人と関わることで僕が作る未来の作品がより良くなる。」と思えばなんとでもなるんです。

ただ、自分のような奇抜な(変な)仕事をしていない、普通に仕事をしている人にとっては、仕事先では嫌な人しかいない、プライベートでも変な人に絡まれる可能性(例えば遊びに行くために電車に乗ると変なおじさんがいる)がある。

そうなったら、人と関わりたくなくなるのは当然だと思います。
ここで重要なのが"変な人"の数が問題ではないということです。
会社に1人でも嫌な人がいれば仕事に行くのが億劫なように、100人中99人がいい人でも1人でも変な人がいたらそのコミュニティに拒絶反応が出る。

もちろん、僕(22歳)よりも大先輩の方々から見ると「甘え過ぎだ」と思うのもすごくわかるんですが、あえて嫌なコミュニティに参加する理由がないということなんです。

つまるところ、キャンプのテントやキャンピングカーは、"若者にとって唯一のユートピア"になっているんです。

とてもとても小さいかもしれませんが、キャンプをしている間はその人にとってそこが"世界"で、心を許せる場所なんです。

「家でも良くない?」という声が聞こえてきそうなんですが、家じゃダメなんです。
だって、子供が泣いただけで天井をドンドンされるような社会です。

僕は今のところ、社会と、そして日本と関わっていきたいと思いますが、
決して楽観視していられないことも事実です。

社会を変えるのは本当に難しいことで、当然自分1人でできるわけはありません。
でも、自分の隣の人とより良い関係を作ることは可能です。
それは文字通り"お隣さん"ということ以上に、家族や友達やそのまた友達と少しずつ広げていければと思っています。

そう思いつつも、難しい。
これもまた真実だと思います。

最後に僕の大切にしている言葉(文章)を引用して終わります。

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ
越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう
三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った
人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世
よりもなお住みにくかろう。

 越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい
所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも
住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職できて、ここに
画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)
にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。

 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい
世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽
と彫刻である。こまかにいえば写さないでもよい。
ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もわく。

夏目漱石 草枕 冒頭より

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