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つよく、生きる。

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「人生無駄なことなんて一つもないんだから、若いうちはどんどんいろんなことをやっておくといいいよ!」

自分より年上の人に会うと、必ずと言っていいほどもらうことアドバイス。

今まで何十回、いや何百回言われたかわからない。


自分はときどき、時間を作ってはnoteというブログアプリを見ることがある。

インターネットが発達した現代では、SNSを見ると自分がフォローしている、つまり自分好みの人の意見しか目にすることはないし、

ネットサーフィンをしていても、ビッグデータによって自分専用にカスタマイズされた広告や情報が出てくるので、"目新しい何か"と出会うことは意識的にしないと不可能とも言える。

そんなわけで、noteというブログアプリを開いては、"みつける"というランダムに全くの他人のブログ記事が出てくるボタンを押し、意識的に"目新しい何か"を探し、"自分にとって心地が良くない情報"を取り入れている。


先ほど、noteを見ていると『20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。』という記事が出てきた。

冒頭で述べた、「人生無駄なことなんて一つもないんだから、若いうちはどんどんいろんなことをやっておくといいよ!」系の記事だろうなと思い読む気は全くしなかったが、その気持ちをグッと堪えて"心地悪さ"を感じながら読み進めてみる。

これを読んでいる皆さんも薄々お気づきの通り、案の定"人生無駄なし"系の記事だった。

そしてこの記事には356のいいねがついている。


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数ヶ月前、自分自身もnoteを頻繁に更新していた時期があった。

その頃のいいね数を見てみると、平均いいね数は2くらい。

ごくごく稀に数十ものいいねがついていることがある。

しかし、たくさんいいねがついている記事は全て艸の枕に在籍していた時に公開したもの。

1年間毎日のように2000文字ほどの記事をKoizumi Studioで公開しているので、2020年3月24日に公開し、41いいねがついている記事(https://note.com/nori0520/n/n7fbaabc6206f)よりも、最近書いたnoteやスタジオ記事の方が100倍くらい面白いと思う。


ただ、多くの人はどんな記事かではなく誰が書いた記事がしか見ない。

たとえ自分が書いたその記事がどんなに面白くたって、知名度がある人が書いた内容が薄い記事の方がいいねはつくだろう。


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正直、いいねがつく記事を書こうと思えば書くことはできる。

1年間毎日のように2000文字前後の記事を書いてきた自分にとって、大衆にウケる記事とウケない記事の書き分けはそんなに難しいことではない。

最初に紹介した、
『20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。(https://note.com/carp_1994/n/n55164da1dced)』
という記事はウケる記事だ。

たくさんの文章に触れている人が見れば、タイトルを見た瞬間"ウケる記事"だということがわかると思う。


ただ、自分は"人生無駄なし"系の主張に対して、全面的に賛成はできない。

確かに人生に無駄はない。

だが、これを言っている多くの大人は"無駄はない"をどのように認識しているか。

"無駄はない"に対する自分のイメージは、マイナス以外のことを指すものだと思っている。

−100〜+100まで数字があるとすると、0〜+100が無駄はないの範囲。

つまり、
「人生無駄なことなんて一つもないんだから、若いうちはどんどんいろんなことをやっておくといいいよ!」
というアドバイスは、
人生に無駄はない!と行動した結果、それによる経験値が0だったとしても成立してしまう。

つまり、全く(ほぼ)成長していなくても、マイナスではない限り、人生に無駄はないとなる。


ここからは、
自分は"人生無駄なし"系の主張に対して、全面的に賛成はできない
という中の、賛成ができない部分。

たしかに、マイナスではないという意味でいうと人生に無駄はない。

理論上それは成立している。

しかし、人生に無駄はない!と言って行ったその行動は、決して"ベスト"ではない。


確かに腕立てはどんなに間違ったフォームでも、全く何もやらないよりかは効果があるのかもしれない。

その意味では、おっしゃる通り"無駄ではない"だろう。

しかし、正しいフォームで、時にはもっと負荷をかけて行う腕立てと、
人生に無駄はない!と思考を放棄して行った腕立てとでは、
得られる経験値や成長、効果といった類のものは大きく変わってくるだろう。


つまり、今まで何十回、何百回と言われてきた「人生無駄なし!」系のアドバイスは、そのほとんどが思考の放棄が伴っていた。

最大限思考した上で、あえて遠回りをすることで経験値や効果を全く期待しないで行動することは人生においてとても大切だと思うが、思考の放棄(もしくは思考する能力がない)ゆえの「人生無駄ない!」という主張は、自分は間違っていると思う。


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最近は自分のSNSの投稿に対して、リアクションが少ないことをすごく肯定的に捉えている。

なぜなら、いいねをつける(評価を下す)99.99%は自分が目指している世界にたどり着いていない人だからだ。

顔も見たこともなければ、名前も知らない。
そんな人から何百、何千、何万いいねももらうより、世界中の人を幸せにした経験があるウォルトディズニーからもらった1いいねや、いつもCURIOUSで応援してくれる人がくれる1いいねの方がよっぽど価値があるし、はるかに嬉しい。


自分も含め、人間というものは権威や知名度がある人の主張やアドバイスを無条件に高く評価してしまうことがある。

ただ、本当に大切なのは誰が言うかではなく、どんな内容かという中身で、

自分はこれからもCURIOUSのエンターテインメントが世界を笑顔にできる日を夢見て、世の中の流れに流されることなく強く生きていきたい。

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